畳刺 父ちゃんの日々

東日本大震災から2年

東日本大震災から今日で2年目。
震災後から全く変わっていない所もあるし、復興に向け進んだ所も多々ある。

初めて経験した震度6弱、足を踏ん張り工場が潰れるのではないか? 家族は大丈夫か? 自宅は無事なのか? 色々な思いが巡ったあの日・・・。
隣町の我孫子市布佐(都)では液状化で傾いた家屋が未だに残っている。
仕事をお世話になれば未だに震災の話しにもなる。

商工会青年部の有志で行った石巻や牡鹿半島の今はどうなっているだろうか?
あの時のお父さん達は元気でいるだろうか?
この2年、自分は何が出来たろう?


午後2時46分、作業の手を止め黙祷した。
海や山や町が平和でありますように。
早く復興が進みますように。
亡くなった多くの方が安らかに眠れますように。
家族のもとに帰れますように。


仕事が出来る事や家族皆が元気でいる幸せ。
改めて感謝する事が沢山ある。


熊本イグサ農家、畑野さんの熱き想い。

    結い草 ~仮設住宅に寝ゴザを~ プロジェクト

その昔、物と者を繋ぎ止め結ぶ草 【 ゆいぐさ 】 が訛って 『 いぐさ 』 と言う言葉になったと言われています。
私たちは、い草に携わってこれまで多くの人との出会いがあり、い草を通じて生かされていることを実感しています。
そう、い草は人と人を結ぶ草と言えるかもしれません。
この結い草を手にされた皆様に、これから素敵な出会いがありますように・・・

『小川草心会』 プロジェクトリーダー 畑野泰人

         福島の仮設住宅に寝ゴザを

        


私たち畳屋もそれを支えてくれる農家さんや材料屋さんあっての事。
い草がなければ私達(畳屋)も生きる事が出来ないのだ。
そんな、い草生産者の畑野さん達の想いを伝えたい。
自分にも出来るちょっとした協力。

渡したお客様にはきっと喜んでもらえるだろう。
その1束に(い草1本1本に)色々な思いが込められているのだから。

五感で感じる良さに理屈はいらないのだ。
だから畳は無くならない。
日本人に引き継がれているDNAに畳文化という物が同じく引き継がれていると信じたい。


未だ震災の影響は深刻でまだまだ復興も始まったばかり。
(全く変わらない所も多いとは思うが・・・)
これからも自分に出来る事を微力でも続けようと思う。
そういった【想い】を持ち続けるという事が最も大切だと思う。

震災はまだ終わっていないのだ。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

畳刺 父ちゃん
高橋畳店 三代目様

私もあっという間の2年の気がします。
東海地震、首都直下型地震、本当に起こって欲しくはないですね。
色々な問題が山済みですが、早い段階で良い方向に進んで欲しいものです。
高橋畳店 三代目
http://takahashitatami.blog.fc2.com/
震災から2年たったんですね…

沼津市周辺は震度4程度でそれほど強い揺れではなかったのですが、生後5か月の娘が病院に行っており、あわてて仕事を抜け出し、病院の方へ走って行った事を思い出しました。

テレビで見る限りでは、復興の進んでいない所が多いようなので、一日でも復興してほしいですね。

後は東海大地震等の大きな地震ががこないように祈るだけですね。
畳刺 父ちゃん
sugitatami様

本当にその通りですよね。
経験した事は次に生かさなければなりませんよね!
畳刺 父ちゃん
畳職人でございます。様

もう2年、まだ2年。
皆、色々な思いがあるのでしょうね。

お家は順調でしょうか?
全て終わるまで大変だと思いますがその分喜びは大きいと思いますのでしばらくの辛抱ですね!
私、凄~く羨ましい!!
畳刺 父ちゃん
福島畳店様

震災当時、大変だったんですね!
でも皆、怪我無く良かったです。
本当に早い段階で復興が進んで欲しいものです(願)
sugitatami
http://www.sugitatami.com
お疲れ様です。
 私も当時、家で作業が終わり、現場に向かう準備をしていたところでした。あっ!工場が壊れると思い、外から揺さぶられる家と工場を見ておりましたが、さすがに壊れるのでは?と思いながら立っているのもやっとでした・・・!隣の郵便局から出て来た方の中には泣いておられる方もいました。揺れが続く中、納品に行き・・・車のラジオでは、東北の事ばかりで、地元の情報が聞きたいと思いながら、帰りは渋滞にはまり、何の情報も知らないまま、帰路に着きました・・・
 アナログなもので、携帯電話も繋がらず、電気もつかづ、次の午後、停電がおさまり、TV見て!!!それまで、自分の周りが凄い揺れただけと思っていましたが、東北で凄い事になっている事を次の日に知った状態でした・・・
 今となっては、あまりに無知で、しかも隣りの九十九里町にまで津波が来ていたのに・・・いつまた、地震が来るか解りませんし、房総沖もありますし!この経験を生かさなければ、なりませんね。
畳職人でございます。
http://ameblo.jp/cm2688531/
あの時から2年経ったのにテレビでしか分かりませんが、
現地では、まだまだですね。
本当に大変な事を乗り越えて頑張って下さる方々を応援したいですね。

その日は、
家の地域も悼ゥら悼。前、破損と周りにャ`リャ`リと有りましたが、
大分奇麗になって来ていると思います。
そんな家も家中が緩んで、ちょっとした揺れでもギシギシする様になり、雨漏れも凄くなってしまいました。(^_^;)
福島畳店
http://fukushimatatamiten.blog.fc2.com/
もう2年が経つんですね。
二年前、自宅に帰る1km手前で地震。
停電で信号も消え、たった1kmを車で1時間鰍ゥりました。
と同時に息子が幼稚園の卒園遠足でマザー牧場へ。
帰りのフェリーに乗れず、陸路もNG。君津で車中泊をして翌日の5時に出発。園に戻ったのが午後5時でした。
米井さんともお知り合いに成れましたし、息子も変な意味、千葉県で災害に成りましたが、我が家は千葉県に縁が有るのかな?と(笑)
しかし、早く復興して貰いたいですね。
テレビ見ましたが、未だに手つかづの所が多いようで・・・

あぁ~私事で失礼致しました。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事