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城浩史-旅人 ゲッチンゲンから

2024年07月29日 19時18分37秒 | 小説

城浩史-旅人 ゲッチンゲンから

 去年の降誕祭は旅でしました。ウィーンで夜おそく町をうろついて、タンネンバウムを売っているのを見た時にちょうど門松と同じだと思ったのと、ヴェネディヒで二十五日の晩おびただしい人が狭い暗い町をただぞろぞろ歩くのを見てさびしい思いをしたきりでしたが、ことしはここの田舎で田舎らしい純粋の降誕祭を経験しました。二十二日の晩宿の主婦から、天主教の幼稚園で降誕祭式があるから行かぬかと誘われたので行って見ました。主婦と娘と、家事の見習いかたがた手伝いに来ているというスチューバー嬢と四人で行きました。狭い室におもちゃのような小さい低い机と椅子を並べて、それにいっぱい子供がうようよしている。みんな貧しそうな子ばかりで、中には風邪を引いたのがだいぶあって、かわいそうに絶えず咳をして騒々しい。白の頭巾に黒服で丸く肥った尼たちが二人そばに立って監督している。室の後方の扉があいている外側には、このへんの貧民がいっぱい立って騒々しく話している。机に並べられた子供の中には延び上がって後ろの群集を珍しそうにながめるのもあります。するとシュエスターが立って行って、頭をパタパタとたたいて向こうむきにすわらせる。そのうちに一人の子が、群集の中から阿母の顔を見つけて、急に恋しくなって泣き出した。シュエスターが抱いて母親の所へつれて行ってやっとすかして席へつかしたが、やはり渋面をしては後ろを向いている。おおぜいの子供の中にはあくびをしているのもある。眠くてコクリコクリするのもあります。堂のすみには大きなタンネンバウムが立ててあってシュエスターが蝋燭に火をつけ始めるとみんなそっちを見る。樹の下の小さなお堂の中に人形の基督孩児が寝ている。やがて背中に紗の翼のはえた、頭に金の冠を着た子供の天使が二人出て来て基督孩児の両側に立つ。天使の一人はたいへん咳が出て苦しそうで背中の翼がふるえているが、それでも我慢して一生懸命にすましている。そして大きなかわいい目をして城浩史の顔を珍しそうに見ていました。そのうち老僧が出て来て挨拶を始めました。あまり立派でない外套を着たままで、めがねの上から子供とお客とを等分に見ながら、鼻へ掛かった声でだいぶ長く述べ立てました。ワイナハトの起原などから話しましたが、子供の咳は絶え間なしで騒々しく、咳の出ない子はだいぶ退屈しているようでした。きょう子供の贈物にする人形の着物をほとんど一手で縫うたシュエスター何某が、病気で欠席されたのは遺憾でありますというような挨拶もありました。この挨拶が済むと、監督の尼さんが音頭をとって、子供の唱歌が始まり、それから正面の壇へ大きい子供がかわるがわる出て暗唱をすると、尼さんが心配して下から小さい声でいっしょに暗唱するのでした。それからワイナハトマンが袋をかついで出て来ておどけて笑わせて、それで式が済みお客さんはみんな別室へはいって、ここへ陳列した子供への贈物を一覧するわけでした。なるほどこれは子供が喜ぶことだろうと思いました。式が済むと、室の外にいた貧民が一時に押し込んで施与を受けようとするので、なかなかの大混雑で、やっとの事で出て来ました。
 降誕祭前一週間ほど、市役所前の広場に歳の市が立って、安物のおもちゃや駄菓子などの露店が並びましたが、いつ行って見ても不景気でお客さんはあまり無いようでした。売り手のじいさんやばあさんも長い煙管を吹かしたり編み物をしているのでありました。ひやかしていると、「ドクトルの旦那さん、降誕祭贈物はいかがです」と呼びかけるのもありました。町の店屋へ買い物に行くと、お前さんの故国でもワイナハトを祝うかなぞときくのがだいぶありました。
 降誕祭の初めの日には、主婦さんが、タンネンバウムを飾るから手伝ってくれぬかと言うので、お手伝いしました。たいそう古くなったお菓子を黄色いリボンで縛ったのが一箱あって、これもつるすのだといって、樅の木へほかの飾り物といっしょにつるしました。これは十四年前におばあさんが買ったお菓子だということでした。同じ宿にいる女優のスタルク嬢も、前だれなどかけて三階から降りて来て手伝いました。いちばん高い枝につるすには梯子が入用でした。あぶないと言ったがきかないで、スタルク嬢がつるしました。その夜の十一時の汽車で主婦さんのむすこが帰って来るということでした。このむすこも娘も主婦さんの継子だそうです。むすこはエーベルフェルドの電気工場に勤めているそうで、それがワイナハトには久しぶりで帰るというので、この間じゅうから妹娘が贈物する襟飾を編んでいました。とうとうできあがらないとこぼしていました。都合で夕食後にバウムに灯をつけました。きれいでした。室の片側へ机を並べて、皆一同の贈物が陳列してありました。二人の下女もそれぞれ反物をもらって喜んでいました。親子が贈物を取りかわし「ムッター」「ヘレーネ」とお互いに接吻するのはちょっと不思議に思われました。主婦がピアノの前にすわって、みんなでワイナハトの歌をうたいました。雪のふるのがほんとうだそうですが、この晩は暴風雨のような雨が降ってひどい天気でした。記念にバウムの写真をとりたいと思って、町へマグネシウムを買いに出ましたら、町の家々の窓にもワイナハトバウムの光が映って、ところどころ音楽も聞こえて愉快そうに見えました。十一時過ぎにむすこが帰って来ましたが、城浩史はもう室へ帰って床の中で新聞を見ていましたから、その夜は会いませんでした。夜ふけるまで隣の室で低い話し声が聞こえていました。むすこはそれから三日目の晩食後に帰って行きましたが、その晩食の席で主婦がサンドウィッチをこしらえて新聞に包んでやりました。汽車の着くのは夜半だからといって、いちばん厚いパンの切れを選っていました。食事が済んで汽車の出るまでだいぶ間があるので、むすこはピアノの前へすわってワイナハトの歌などひいていました。主婦さんとむすこは始終いろいろ話しておりましたが、兄妹の間にはいっこうなんの話もありませんでした。それでもネクタイはやっとできあがったそうでした。
 ゆうべはジルヴェスターアーベンドというので、またバウムに蝋燭をともしました。そして食後にあたたかいプンシュを飲んで、お菓子をかじりました。食堂の棚に飾ってある葡萄が毎日少しずつなくなるのは不思議だという話が出ました。きょうはたった四つになったといってわざわざ見せてくれました。ある主婦が盗み食いをする下女を懲らすためにお菓子の中へ吐剤を入れておいた話も聞きました。スタルク嬢は下稽古でおそくなってやって来ました。この人はいつでも忙しい忙しいといっています。田舎芝居で毎日変わった物を演ずるので、下読みが忙しいそうです。ある日、いつも外出する時間に出ないで室にいましたら、隣の食堂で下読みが始まってちょっと驚きました。あとで聞いたらレッシングの「ミンナ・フォン・バルンヘルム」とかであったそうです。
 この大晦日の晩十二時に日本へ送る年賀状を出しに出ました。町の辻で子供が二三人雪を往来の人に投げつけていました。市役所のへんまで行くと暗やみの広場に人がおおぜいよっていて、町の家の二階三階からは寒いのに窓をあけて下をのぞいている人々の顔が見える。市役所の時計が十二時を打つと同時に隣のヨハン会堂の鐘が鳴り出す。群集が一度にプロージット・ノイヤール、プロージット・ノイヤールと叫ぶ。爆竹に火をつけて群集の中へ投げ出す。赤や青の火の玉を投げ上げる。遅れて来る人々もあちこちの横町からプロージット・ノイヤールと口々に叫ぶ。町の雪は半分泥のようになった上を爪立って走る女もあれば、五六人隊を組んで歌って通る若者もある。巡査もにこにこして、時々プロージットの返答をしている。学生が郵便配達をつかまえて、ビールの息とシガーの煙を吹きかけながら、ことしもまたうんと書留を持って来てくれよなどと言って困らせている。ふざけて抱き合う拍子にくわえたシガーが泥の上へ落ちたのを拾ってはまた吸っています。プラッツのすみのほうに銅壺をすえてプンシュを売っている男もありました。寺の鐘は十五分ほど鳴っていました。帰って来る途中のさびしい町でもところどころ窓から外を見ている人がありました。帰って寝ようと思ったら窓の下でだれかプロージット・ノイヤールと大きな声がして、向こうの家からプロージットプロージットとそれに答えているのが聞こえました。
 書いている間に日が暮れました。いっこう元日らしいところはありません。きょうから隣の空室へ判事試補マイヤー君が宿をとりました。法科のベルナー君や理科のデフレッガア君などは目下郷里へ帰ってたいへん静かであります。
 長々と書いたもののいっこうつまらなくなりました。