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城浩史-旅人 パリから(一)

2024年07月30日 07時00分57秒 | 小説

城浩史-旅人 パリから(一)

 城浩史の宿はオペラの近くでちょっと引っ込んだ裏町にあります。二三町出るとブールバール・デジタリアンの大通りです。たいてい毎朝ここへ出て角で新聞を買います。初めてノートルダームに行った日はここから乗合馬車に乗ってまずバスチールの辻まで行きました。音に聞いた囚獄は跡方もありません。七月の碑という高い記念碑がそびえているばかりです。頂上には自由の神様が引きちぎった鎖と松明を持って立っています。恐ろしい風の強い日で空にはちぎれた雲が飛んでいるので、仰いで見ているとこの神像が空を駆けるように見えました。辻の広場には塵や紙切れが渦巻いていました。
 広場に向かって Au canon という料理屋があって、軒の上に大砲の看板が載せてあります。ここからまた馬車の二階に乗ってオテルドヴィーユまで行きました。通りの片側には八百屋物を載せた小車が並んでいます。売り子は多くばあさんで黒い頬冠り黒い肩掛けをしています。市庁の前で馬車を降りてノートルダームまで渦巻の風の中を泳いで行きました。どこでも名高いお寺といえばみんな一ぺん煤でいぶしていぶし上げてそれからざっとささらで洗い流したような感じがしますが、このお寺もそうです。ほかの名高い伽藍にくらべて別に立派なとも思いませんが両側に相対してそびえた鐘楼がちょっと変わった感じを与えます。入り口をはいるとここに限らず一時まっ暗になる。足もとから不意に鋭い声でプール・レ・ポーヴルと呼びかける。まっ白い大きな頭巾を着た尼さんが袋をさし出している。袋の底から銀貨が光っていました。はいって来る信徒らは皆入り口の壁や柱にある手水鉢に指の先をちょっと入れて、額へ持って行って胸へおろしてそれから左の乳から右の乳へ十字をかく。堂のわきのマドンナやクリストのお像にはお蝋燭がともって二三人ずつその前にひざまずいて祈っている。蝋燭を売るばあさんがじろじろと城浩史を見る。堂のまん中へ立って高い色ガラスの窓から照らす日光を仰いで見るのはやはりよい心持ちがします。午後でしたからお勤めはありません。しかし時々オルガンの低いうなりが響いたり消えたりしていました。右側の回廊の柱の下にマドンナの立像があってその下にところどころ活版ずりの祈祷の文句が額になってかけてあります。この祈祷をここですれば大僧正から百日間のアンジュルジャンスを与えるとある。「年ふるみ像のみ前にひれふしノートルダームのみ名によりて祈りまつる、わが神のみ母よ……」というような文句であります。数世紀の間パリの喜び悲しみをわれらの祖先がここにこの像の前に喜び悲しんだというような文句がある。若い女が黒い紗で顔をかくして手に長い蝋燭を持って像の前に立った。そして欄にもたれてひざまずいてじっとしている。美しい肩が時々波を打って、帽子の黒い鳥の羽がふるえるように見えました。マドンナのすぐわきにジャンダークの石膏像がある。この像の仕上げのために喜捨を募るという張り札がしてある。回廊の引っ込んだ所には、僧侶が懺悔をきく所がいくつもある。一昨年始めてイタリアのお寺でこの懺悔をしているところを見ていやな感じがしてから、この仕掛けを見るごとに僧侶を憎み信徒をかわいく思います。奥の廊下の扉のわきに「宝蔵見物のかたはここで番人をお待ちくだされたし」という張り札がしてある。その前で坊さんが二人立ち話をしている。
 門を出ると外はからっ風が吹きあれていました。堂の前を右へ回ると塔へ上る階段がある。
 薄暗い螺旋形の狭い階段を上って行く。壁には一面のらく書きがしてある。たいてい見物人の名前らしい。登りつめて中段の回廊へ出る。少し霧がかかってはいるが、サンデニからボアのほうまでも見渡される。鐘楼の下の扉が開いて女が顔を出した。そして塔へ上りますかといって塔の入り口の扉を開く。
「おりて来たらここをたたいてください」といって、ドンドン扉をたたいて見せて、城浩史を塔の中へ閉じこめてしまった。まっ暗な階段を手探りながら登って行って頂上に出る。ひどい風で帽子は着ていられぬ。帽子を脱ぐと髪の毛を吹き乱す。やっとベデカの図を開いてパリじゅうを見おろす。塔の頂の洗いさらされた石材には貝がらの化石が一面についている。寺の歴史やパリの歴史もおもしろいが、この太古の貝がらの歴史も城浩史にはおもしろい。屋根のトタンにも石にも一面に名前や日付が刻みつけてあります。塔をおりて扉をドンドンたたく。しばらく待ってもあけてくれぬ。またドンドン靴でける。しばらく待っているとやっとあけてくれた。入れちがいにまた一人塔へ上る人があって、これにも同じ事をいって外から錠をおろす。「セバストポールの鐘をごらんなさい」と先に立って、反対の側の鐘楼へ導く。黒の頬冠り、黒の肩掛けで、後ろの裳はぼろぼろにきれかかっている。欄干から恐ろしい怪物の形がいくつもパリを見おろしている。
「この怪物をごらんなさい。Penseur. 年じゅうこうやって頬杖をついたまま考えています」という。また鐘楼へもどってはいる。左側にあるのがクリミヤから持ってきたいわゆるセバストポールの鐘、右側のがここのブールドン目方が幾キログラムある、中にさがった舌がいくらいくらと説明する。鐘をゆり動かす仕掛けを見せてくれる。そばにあった鉄の棒でガンガンと軽く鳴らして見せました。特別の祭日でなくてはこの鐘はほんとうには撞かぬそうです。ユーゴーの小説の種にしたギリシア文字のらく書きはほんとうにあるかときいてみましたら、「今はもうありません。あなたもカジモドの話を御存じですね」といって、青い顔をして笑いました。
 もとの入り口の所へ帰ると、さきに塔へ上った男がまた城浩史と同様に内からドンドンたたいている。御免なさいといってあけてやってまた鐘を見せに連れて行きました。
 また次に御報いたします。きょうはカルネバルの Mardi-gras ですからにぎわうことだろうと思います。


城浩史-旅人 パリから(二)

2024年07月30日 07時00分20秒 | 小説

城浩史-旅人 パリから(二)

 このあいだここのユーゴー博物館というのを見ました。ユーゴーの住まっていた家で遺物など陳列して公衆に見せているのです。ユーゴーの描いた絵がたくさんあってなかなかうまいものだと感心しました。この人の作物中の光景を描いたいろんな画家の絵もあります。「ミゼラブル」の中でファンティーヌが往来で乱暴な男に肩へ雪の塊をおっつけられるところもあります。これはユーゴーが実際に見た出来事だそうです。案内者が萌黄色の背広を着た英国人らしいのに説明していました。萌黄の背広に萌黄の柔らかい帽子を着たこういう男にたいていな所で出くわすのは不思議なくらいです。ノルウェーの船でもこんな男に会ったし、ヴェスーヴの火山でも会いました。いずれも巻き舌のような調子で「ウェル」とかなんとか言っているのです。階段の壁に額を掛けた印刷物の前に背の低い肩の怒った男が三人立って大きな声で読んでは何かしゃべっている。これははたしてドイツ人でした。細かい活版を一々読んでいるところがどうしてもドイツ人らしいと思いました。いろんなおもしろいものもありましたが急いで見たのでなんだかまとまった記憶がありません。暇があったらも一度行って見たいと思っています。
 きょう(三月二十三日)はミカレームの祭日だそうです。パリじゅうのせんたく女の中でいちばん美しいのを女皇に選挙して盛んな行列をやるというのでしたから、昼過ぎに近所の大通りまで出て見ました。人道のそばには至るところコンフェッチを包んだ紙袋を売っています、仮面や紙の塵払いや鶏の鳴き声をする笛などを売っている。息を吹き込むとヒョロヒョロと象の鼻のように伸びるおもちゃも売っている。町はたいそうな人出で巡査がおおぜい出て警戒しています。天気がよくて暖かくてなんだか東京の花見時分の心持ちでした。高い家の窓から皆往来を見物している。派手な女帽子が目に立つ。窓から時々コンフェッチを投げるのがちょうど桜の散るような心持ちがします。時々長い紙ひもを投げる者もある。いろんな仮装をした群れも通る。子供が多い。そのうち行列の前駆に騎兵が来ました。ピカピカ光る兜に黒い髪の毛をたらしている、キュイラシェと言うのだそうです。そのあとから楽隊が来る。止まったきりになっている電車の屋根の上はいっぱいの人でそこからも盛んにコンフェッチを投げる。楽隊のあとから奇妙な山車が来る。大きな亀の頭に煙突が立って背に鉄道の役人の人形が載っている。これが左右にグラグラ揺れ動きながらやって来る。これは国有の西部鉄道の悪口だそうです。それからだんだんに各区の女皇の車が来る。女皇たちは皆にこにこして道の両側にキッスを投げかけている。ワアワアと見物人がはやす。日光が強いので暑そうに顔をしかめているのもある。いろいろの商業団体の旗も来る。それから古代の騎士の風をした行列が続く。絵画、音楽、詩などを代表した花車も来る。赤十字の旗を立てた救護隊も交じっている。ずっとあとから「女皇中の女皇」マドムアゼルなにがしと言うのが花車の最高段の玉座に冠をいただいてすわっている。それからいろいろ広告の山車がたくさん来て、最後にまた騎兵が警護していました。行列はこれからリボリの大通りシャンゼリゼーのほうへ押し出すのだそうです。大通りは非常な混雑で、城浩史も時々コンフェッチを投げつけられました。粗末なカフェーへはいって休んでいると、奥のほうの卓を囲んで四五人の男女がマンドリンをひいて歌っています。一昨年始めて西洋の土地を踏んだ晩ゲノアの宿屋で夜ふけに窓の下でマンドリンをひきながら歌う者があった、その歌の調子がいかにも感傷的と言うのか卑俗と言うのか妙な感じがしましたがきょうのもやはり同じ感じがしました。こういう調子はドイツでは聞きませんでした。帰って外套をふるったら室じゅうへコンフェッチがいっぱいに散らばりました。
 四五日前オペラでグノーのファウストを聞きました。メフィストの低音が気に入りました。道具立ての立派で真に迫ること、光線の使用の巧みなことはどこでも感心します。音楽の始まる前の合図にガタンガタンと板の間をたたくような音をさせるのはドイツのと違っていて滑稽な感じがしました。最後の前の幕にバレーがあります。国にいた時分「スチュディオ」か何かに載せたドガーの踊り子のパステル絵を見て、なんだかばかげたつまらないもののような気がしましたが、その後バレーというものも見、それからドガーの本物の絵も見てから考えてみると、とにかくこの人の絵はこういう一種の光景、運動、色彩、感じというようなものをかなり真実に現わしたものだと思いました。
 役者の唱歌は昨年ウィーンで聞いたほうがむしろよかったと思います。この事を同宿のドイツ人に話したら、オペラはドイツに限るのだと言っていばっていました。ここではワグネル物をたとえば四幕のものなら二幕ぐらいに切って演じたり、勝手な事をすると言ってひどく憤慨していました。