堤外日記

京都桂川を軸に、春夏秋冬、ひたすら歩きの旅。

なんの花か、なの花か、ん?

2010-05-18 08:49:49 | 日記
 なの花か、なんの花か、んのある光景。
 その場の時空の一切が、写真に閉じ込められているようだ。

 キャベツの花らしい。
 光の圧迫、拡散、時間が透けて光となる一瞬の、無がそこに写っていた。
 確かにあった、その証拠ともいうべき、過去の残滓、その輝き。

 目には見えない。見えないのに、なぜ、カメラを向けたのか。
 目に見えている大きさが写らないのは、なぜか。
 目に見えない大きさが写るのは、なぜか。

 風が吹いたのか、畑に。目が背いたのか、青空に。
 死が夢を見ている、この安らぎ。
 死が夢を見ているかぎり、生が尽きることはない。

 目に見えない力の一切は、実は目に見えない力の一切なのだ。
 他力を感じる。なにも見えない。

2010年4月6日 桂川上野橋先、農道で写す。


 思い出して、詩集「蜘蛛の行い」四、を引用する。

   われらはファインダーを覗いてみる
   眼下に群青があり
   分岐点は
   どこにもない
   これが事実であるとわれらは言えない
   これが無実であるとわれらは言えない
   波濤があり
   遠く波濤に打たれる岩礁がある
   われらは叩くが常に写真に叩くにすぎない
   カメラにはわれらが錐を通した穴がある
   岩礁は近づき
   なおも近づき
   われらは錐の穴から
   波濤とともにこれを叩く
   群青もろとも切り落とす


カルガモは雨のふくらまんじゅうのココロだ~

2010-03-27 11:57:58 | 日記
 カルガモが眠っている。カルガモも夢を見るだろうか。
 小雨の中を押して出た。出て来たものの、このまま歩くかどうか迷っている。歩きはじめて一年、6000キロは歩いただろう。しかし、強い気持ちはいつも弱い気持ちに支えられているようで、あのように、無心な一本足の上に自分の全重量を預けることなど、とうてい及ばない。羽毛のふくらまんじゅうが雨の水面にある。無心が並んで映っている。

 ちょうど一年前、2009年3月24日に堤外日記を書きはじめた。日記といっても、ポケットに収まるB7サイズのメモ帳に、何時何分に家を出て、何時何分にどこそこへ来て、何をした、何を見た、寒い、暑い、そんなことが書いてある。朝目が覚めて、起き上がった寝床で理由もなく身の置き所がなく悲しい、そうした誰にもある事情が自分にもあって、不登校の少年のように、家をのがれ、毎朝うつうつと裏の土手へ上がった。堤外とは桂川の堤外である。その桂川へ合流する天神川に堤外人道橋という小さな橋があって、堤外日記と名付けた経緯を、欄干に挟まれた、と書いている。
 実際、家をのがれ、毎朝うつうつと久世橋の土手へ上がり、堤外人道橋を渡り、桂川の左岸右岸を嵐山まで歩くことになった。道があり、行って帰る、ただそれだけのひたすらごとがはじまった。往復約18キロ、黒飴二個とパン一個を持って出たので、飴食って血固まる、の駄洒落も見えるが、日記の冒頭には、侘びながら願いながら、とある。切実だった。
 さて、一年たったのを機に、書き溜めたもの、写し溜めたもの、拾い溜めたもの、それらを整理し、分類し、注釈し、時空系列の刻印として、どこかに保管しておきたいと思うようになった。欲だろうか。欲だろう。欲だろうね。依然、気持ちは散らかったままなのに。
 歩行は現在も続いている。つまり、過去形と進行形が、たとえば水底と水底から舞い上がる泥のような関係を得て、まだ誰も来ない春先のプールの中にある。かくして、枯葉の浮いたイメージの水面を覗いたり触ったりしながら、裸になる前に裸の言葉が陳列されるほど恥ずかしいデビューはない、と悟った今、キーボードから手を放し、遠い本当の水面の静かなカルガモの一本足に、ここは、ひとまず、頼ることにした。

2010年3月24日 桂川祥久橋、第二堰で写す。