Kiinaのデビュー15周年を迎える2014年のツアーは1月17日の八王子オリンパスホールからスタート、この時、2014年第1弾シングル「大利根ながれ月」とカップリング曲の「七つ星」「ふるさとの風」をKiinaが披露してくれました。
https://columbia.jp/artist-info/hikawa/discography/COCA-16849.html
https://columbia.jp/artist-info/hikawa/discography/COCA-16850.html
松井由利夫先生作詞の、平手造酒を主人公にしたいわゆる「大利根もの」です。
Kiinaの解説によると、作品自体は「ズンドコ節」と同時期に出来上がっていたのですが、「まだ早い」ということでこの時期まで温めていたのだそうです。
初めはマイナー調のどっしりしたメロディーがつけられていたのを、15周年に当たってメジャー調で歌いたいとKiinaが希望して水森先生に作り直していただいたようです。
Kiinaの歌唱はこちら↓
https://m.youtube.com/watch?v=WVyLIwuk_0E
歌詞は歌ネットより。
https://www.uta-net.com/song/158734/
私見ですが。
大利根ものをマイナー調で歌っても、おそらく三波春夫さんの名曲「大利根無情」を超えることは難しいでしょう。平手造酒の悲劇を敢えて軽いメジャー調にしたことで、平手の心の内〜人生に対する諦観や境涯への自嘲がかえって浮かび上がってきたように思います。
この作品のテーマである平手造酒については、Kiinaがカバーした「大利根無情」や「大利根月夜」でご紹介しました。
江戸時代後期の天保年間、下総(現在の千葉県)で実際に起こったやくざ同士の大喧嘩とそこで命を落とした用心棒の浪人の話が「天保水滸伝」として浪曲や講談、映画となって広く大衆に喧伝されました。
既に何度も歌に取り上げられてきた題材ですが、松井先生らしい「言葉あそび」が随所に散りばめられていて、決してありきたりの「大利根もの」になっていません。
例えば
1番の「義理の着流し 落としざし」では「し」で韻を踏んでいます。
2番の「なんだ神田の ひと悶着は」の部分。
神田は平手が門弟であった千葉周作の道場があった場所です。「神田のひと悶着」とは、千葉道場を破門されたことを意味しています。「なんだかんだ」と「神田」。「おそれ入谷の 鬼子母神」と同じシャレの掛け言葉ですね。
松井先生は、「歌の手帖」のインタビュー特集で「僕は星野哲郎さんのような詞は書けない。僕の詞は言葉あそびなんです」とおっしゃっていました。
改めて「大利根ながれ月」の歌詞を読んでみると、実に見事に「この言葉でなければ!」とひとつひとつ厳選された言葉で構成されていることが分かります。
どんなに松井先生が日本語という言葉を愛され大切にされたかも。
演歌は今でも数多く生み出されていますが、松井先生のような粋なセンスで言葉を綴れる作詞家はもう現れないだろうと思います。
巻き舌が使われている部分や浪曲調の歌い回しの部分は、Kiinaから水森先生に提案したのだそうですが、この曲をステージで歌う時、最後に徳利酒で酔っ払う仕草をしていることも含め、Kiinaの平手造酒は、三波春夫さんの平手とも田端義夫さんの平手とも違う、もはや命にも明日にも未練を持たず、日がな一日川面に舟を浮かべて釣りをしているような平手造酒を造形出来たと思います。
150年前に平手造酒も見たはずの東庄町の大利根川です。
「大利根ながれ月」と直接関係ありませんが、これぞ松井先生の真骨頂と私が膝を打つ作品があります。
松井先生が「はぞのなな」という別名のペンネームで藤圭子さんに提供された「はしご酒」です。歌詞はこちら↓
https://www.uta-net.com/song/543/
まさに言葉あそびの達人の面目躍如、と思います。藤圭子さんの紅白出場最後となった曲は、「怨歌」ではなく小粋な東京下町のご当地ソングでした。