※越後獅子の唄〜1950年(昭和25年):KIINA.2011年
https://m.youtube.com/watch?v=8yyEfjpZuO8
ひばりさんは昭和24年、12歳で「河童ブギウギ」でデビュー。「悲しき口笛」「東京キッド」などがヒットし、25年に発表された「越後獅子の唄」は、デビュー2年めにして既に11枚めのレコードでした。
昭和26年9月にサンフランシスコで開かれた講和会議において52か国との間で「日本国との平和条約」が締結され、翌27年の発効をもって日本はようやく国家としての独立を果たしました。日米間の関係性に今日まで多くの課題を残しながらも、何より国家としての独立を最優先しての調印でした。
敗戦の混乱と他国による占領、何もかもゼロの状態からそれでも今日と明日を生きるために前に進んでいかなくてはならない。そんな時代に天才少女歌手美空ひばりさんが現れました。
ひばりさんがもし10年早く生まれていたら、少女歌手としてのデビューは難しかったかもしれません。戦前には「子供が歌うのは童謡」という強固な既成概念があったでしょうから、12歳の子が歌謡曲を歌うなど言語道断と一蹴されていたでしょう。
実際に戦後のデビューであっても、「ゲテモノ」と厳しい言葉を投げつけたサトウハチローさんを始め、小さな体で巡業する姿に批判的な目を向ける大人は少なくなかったようです。
また、もし仮にひばりさんが正規の音楽学校で正統なクラシック唱法を学んでいたら、あんなに民謡から小唄、ジャズまで多彩なあらゆるジャンルの歌を歌いこなせていたかどうか。どうしても「こうであらねばならぬ」という概念に縛りつけられたのではないでしょうか。
明るい歌も哀しい歌も弾むようなリズムもしんみりしたブルースも、聴く人それぞれの心を鏡で映し出すように、あらゆるジャンルの歌が歌えた。
何よりも時代がひばりさんを求めていたのでしょう。
戦争もバブルも経験した昭和という長い長い時代、まさに歌は世につれ世は歌につれで、世相の変化とともに様々な歌が流れては消えていきましたが、敗戦で打ちのめされていた人々を歌で力づけ励ました、そのシンボルが美空ひばりさんだったことに(好き嫌いは脇に置いて)異を唱える人はいないと思います。
KIINA.の「越後獅子の唄」についての「味わい尽くす♬」です。晴れて自分の会社を立ち上げて、ひたすら前を進んでいくKIINA.を眩しく思う今は、こんなモヤモヤも何だか遥か昔のように感じます(*^_^*)
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