作詞の松岡弘一さんはもともと小説家でいらしたからか、歌詞の中にしっかりとしたストーリーが見えてくるような気がします。
2年前の「最上の船頭」の時も、一時の激情にかられて若い男女が駆け落ちしたのはいいけれど、酒田に出てから大きな船で上方(かみがた)へでも行くのだろうか、駆け落ち者では仕事にも家にもたちまち困ってしまうだろうなあ・・・と二人の行く末を心配したものでした。
「藤枝しぐれ」。懐いた子どもが5歳ぐらいだとしたら、主人公の子どもは生きていれば10歳ぐらいでしょうか。だとすれば主人公はとうに30を過ぎているでしょう。
この時代はちょっとしたことで子どもはすぐに命を落としたといいます。おそらく奥さんと子どもと続けざまに失って、生きていく甲斐を失って故郷を捨て渡世人に身を落としたのかもしれません。
「箱根八里の半次郎」「大井追っかけ音次郎」と、Kiiちゃんの股旅ものの魅力はその突き抜けるような明るい高音にありました。
今でもこの2曲はコンサートで必ず歌ってくれるので、特に最初のフレーズで高音を張り上げる「音次郎」はKiiちゃんの喉ちゃんのコンディションを推し量るバロメーターになっています。
「藤枝しぐれ」はそれに比べると、ずっと低音で物語が展開していきます。まるで淡々と独り言をつぶやいているようです。
でも、この孤独なもう若くはない渡世人がどんな人生を歩んできたか、「鬼だぞ」と凄んで見せても突き放しきれない本性の優しさがにじみ出てしまう、そんなものがすべて見えてくるようなKiiちゃんの低音の響きなのです。
Kiiちゃんはこれまでに股旅ものを沢山歌ってきましたし、明るいノリのよい曲だけでなく「月太郎笠」や「番場の忠太郎」のようなマイナーな曲もありました。
でもやはりどの曲にも若さがあったと思います。
「藤枝しぐれ」をKiiちゃんは若い声では歌っていません。そこに今までにない深いしみじみとした魅力を感じるのです。これはKiiちゃんの股旅の新境地だったのではないかと。
Kiiちゃんがこの先も股旅ものを歌ってくれるなら、これからもこんな魅力的な歌声を聴くことができるのになあ・・・
もう叶わない望みなのでしょうか。