アルバムカバー曲4曲めは、藤山一郎さんの「長崎の鐘」です。
https://columbia.jp/artist-info/hikawa/discography/COCP-34503-4.html
Kiinaの歌唱はこちら↓
https://m.youtube.com/watch?v=hd84Wp80SyA
歌詞は歌ネットより。
https://www.uta-net.com/song/230990/
「長崎の鐘」は、昭和20年に長崎に落とされた原爆によって奥様を亡くされ、自らも重傷を負いながら被爆者の治療に当たった永井隆博士の同名の随筆を元に、昭和24年に発表されました。(永井博士は翌年原爆症で亡くなられました)
レコーディング当日、藤山一郎さんは過労による高熱を押しての渾身の歌唱だったそうです。
Kiinaの「長崎の鐘」で思い出されるのは、2014年の「第46回思い出のメロディー」での歌唱です。
当日はもちろんNHKホールへKiinaの応援に駆けつけましたが、入場して受け取ったプログラムに「氷川きよし 長崎の鐘 長崎から中継」と。
「えっ⁈きよしくんはNHKホールにいないの?」とファンは騒然となりました。
すぐにNHKのスタッフの方にお尋ねしたら、「長崎で歌う予定でしたが、台風で飛行機が飛ばないためNHKホールで歌います」とのこと。
結果として、私たちは荘厳なパイプオルガンの前奏の中、真っ白なスーツで直立不動で「長崎の鐘」を歌い上げるKiinaをこの目で見ることが出来ました。
もし飛行機が無事に飛んで、長崎(おそらく大浦天主堂あたりの予定だったでしょうか)でKiinaが歌っていたら、あの熊本地震の年の紅白歌合戦のように歴史に残る名シーンになっていたかもしれません。
ところで、You Tubeに違法にupされた(NHKは許可していません)この時のKiinaの歌唱に対して、批判的なコメントも幾つか散見されました。
いわく「藤山一郎先生の歌唱と違う」「歌詞の意味を理解していない」
藤山一郎さんがこの曲に特別な思いをこめて歌ってこられたのはよく分かります。
ですが、藤山さんと全く同じに歌わなければ、あの戦争を直接経験した人間でなければ、「長崎の鐘」を歌う資格はないのでしょうか?
美空ひばりさんの「一本の鉛筆」は、ひばりさんが歌うのでなければ広島の悲劇や生命と平和の尊さを伝えられないのでしょうか?
それなら、藤山さんやひばりさんのAIを作って歌ってもらえば済むことです。
でも、それでは「歌にこめられたメッセージを次の世代に伝える」という使命を、次の世代の歌手が担う意味がなくなってしまいます。
たとえ未熟であっても、歌にこめられたメッセージを聴き手に届けたいという真摯な思いがあれば、その心は必ず伝わります。
読売新聞のテレビ・ラジオ面「放送塔」にはKiinaが出演した番組の感想を必ず送り、投稿が採用されたものを切り抜いて手帳に挟みお守りにしています。
2014年の「思い出のメロディー」について、当時の担当の編集委員さんが「放送塔から」として大きく取り上げてくださいました。
「最も多かったのは、『長崎の鐘』を歌った氷川きよしさんへの称賛の声」
とした上で、「藤山一郎さんとは趣の違う『長崎の鐘』だったが、メッセージは同じだ」と書いてくださいました。
これが「伝わる」ということ、「歌い継ぐ」ということの本質なのだと思います。
↑
私の投稿も紹介されていたので、この切り抜きも大事にしています。
↓写真は、私ではなくもうひとりの男性の方の投稿です。おそらくファンではなく、純粋にKiinaの歌唱に感動されたのでしょう。