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氷川きよしについて ★ by とねりこ

☆古賀メロディーの誕生〜KIINA.の歌声でたどる昭和史♬①

再来年2026年は、ちょうど「昭和100年」に当たるそうです。政府界隈で記念イベントを計画する動きもあるようですが、どうなんでしょうか。一口に「昭和」と言っても、その前半の20年間に行った他国への武力侵略、その結果として自国民を含め多くの人の命を犠牲にしたことへの歴史的検証や反省が今だにきちんとはなされていないままで、何をお祝いするんだろう?という疑念が私の中から消えません。

ノーベル平和賞授賞式で被団協の皆さんが訴えておられた被爆によって亡くなられた方々への日本政府としての国家補償も実現していません。

 

そうした宿題を置き去りにしたままでのお祝いならしなくていい。ただ昭和という時代がどんな時代だったかは、光の部分も影の部分も併せて忘れないでいることは必要なのだろうと思っているわけで、KIINA.オタクである以上はKIINA.オタクにしか出来ないやり方でそれをやってみようと思います(^_^)☆

オリジナル曲の発表順でKIINA.のリリース順ではありませんので、若い声も成熟した今の声も順不同です。

 

※「酒は涙か溜息か」〜昭和6年(1931年):KIINA.2016年

https://m.youtube.com/watch?v=glwRMJdUMls

※「影を慕いて」〜昭和7年(1932年):KIINA.2009年

https://m.youtube.com/watch?v=22z0wP7_auU

古賀メロディーの原点とも言える2曲です。コロムビアから藤山一郎さんの歌唱で出されたという点では「酒は…」の方が先ですが、「影を慕いて」は古賀さんが学生時代に原型となる曲を既に作っており、明治大学の演奏会に来てくれた佐藤千夜子さんによって昭和6年にレコード発売されていました。

古賀さんは相思相愛であった女性との間を相手方の親族によって引き裂かれ、絶望から自殺を図ったというその経験からこの曲を作詞作曲されたそうです。

 

1926年12月25日、大正天皇の崩御によって新しい元号の「昭和」が始まりました。

新しい時代の幕開けでしたが、既に大正末期から日本の経済は低迷しており、そこへアメリカに端を発した世界大恐慌が襲いかかりました。アメリカは日本の生糸を買ってくれる余裕がなくなり、生糸の輸出に頼っていた日本経済は大打撃を受けました。農村は元々一部の地主層を除いて皆貧しい生活を送っていたため、その困窮は限界を超えるものでした。

日本中に重い雲が垂れこめたような、そんな雰囲気があったのではないでしょうか。芥川龍之介が「ぼんやりとした不安」と書き残して自死したのは昭和2年の夏でした。

 

「酒は涙か溜息か」は失恋の歌ですが、きっと一般大衆は曲のタイトルに我が身の明日への不安を重ね合わせたのでしょうし、古賀さんの愛した方の親族も、貧しい学生の将来性に不安を感じて遠ざけたのかもしれません。

ただ、実らなかった恋はいつまでも後を引きます。

後年、森進一さんが古賀さんの古い作品でアルバムを制作した時、レコーディングに立ち合われた古賀さんは森さんの「影を慕いて」に号泣されたと、このアルバムを企画した猪俣公章さんの自伝に書かれていました。

「影を慕いて」は何千曲とある古賀メロディーの中でも特別な作品なのだろうと思います。

 

こうして振り返った時に(もちろん生まれてはいませんが)、つくづく昭和という時代は古賀メロディーとともにあったんだなぁと実感させられるのです。

コメント一覧

こでまり
とねりこさん 今晩は。
いつもありがとうございます。

長かった昭和の時代 戦争を知らない私でも 暗くて怖いイメージがあります。
20年程前に戦争に行かれた方のお話を聞く機会がありました。
その方はその時で多分90歳位ではなかったかと思います。
召集されて外地に行かれたとのことでした。
心に一生消えない傷を負わされ 泣きながら話されました。

被団協の田中煕巳さんのお話も日本の皆さんに広く知ってもらう
機会になりましたね。

「影を慕いて」にまつわる話はとねりこさんのおっしゃる通り
古賀政男記念館の館長さんからお聞きしました。
お相手の女性は別れる事になった時 古賀先生に出した恋文を全て返してくださいと言って持って帰られて自死されたともお聞きしました。
その話を涙ながらに聞いたので間違ってないと思います。多分

長々と失礼致しました。
明日も新歌舞伎座 楽しんで下さいね。
とねりこ
みつこさん、「人間の條件」は学生時代にオールナイトで観ました。
実は日中間の国交のない時代での撮影、満州の荒野は北海道で、梶が勤務していた鉱山は我が町でロケが行われていたのです。
母たちがまるで昨日のことのようにロケ隊の様子を話していたものでした。
故郷にもう鉱山はありません。「人間の條件」が名作として残されたので、懐かしい風景を、と言っても亜硫酸ガスで木がことごとく枯れ果てたハゲ山だらけの風景ですが、映像で確かめることが出来ます。

あの戦争の時代に人間としての誠実を貫こうとした梶が、シベリアの荒野で息絶えるラストシーンは衝撃でした。
みつこ
昭和100年?本当に何を祝うのでしょう?敗戦までの昭和は悲惨な時代でした。『人間の條件』の映画を昔見ました。今でも思い出すのは、真っ赤なドレスを着た財閥の令嬢が女衒に連れられて行く貧しい農家の女の子とすれ違う場面。女の子がいつまでも令嬢を振り返っていて、この子は何を思ったのだろうと胸が痛くなりました。五味川純平さんの素晴らしい反戦小説の映画化でしたね。
「影を慕いて」を聴いて思い出すのは、KIINA.の「哀傷歌」です。「振り向けど君の影なく」「君にはもう会えないのか」の台詞は、作詞の水木れいじ先生がKIINA.の「影を慕いて」を創ってくださったのでは無いでしょうか。MVがまた素晴らしくて何度も観て聴きました。愛と平和は常に小説や歌の普遍のテーマですね。
チャチャチャ
とねりこさんいつも有難うございます。
今日の文書を読ませて頂いて、上手に言葉が出ないのですが胸の中に響いて来ました。

昭和は戦前、戦中、戦後波乱の時代でしたね。口には出していけない言葉や行動など難しい時代の移り変わりが激しい中で歌われて来た
昭和歌謡、消えて無くなっているかもしれない楽曲をKIINA.が見事に蘇らせましたね。

若い人は新曲だと思うかもしれないしその時代の人は懐かしく思うかもしれません。
今日一日聴いていました。子供のころに耳にした曲や御本人が歌われている姿は見たことも無い曲、64年の重さをKIINA.の歌唱の中に感じます。

KIINA.は230曲もカバーされていると言われています。その中の100曲を今回出されました。
とねりこさんは歴史だけでなく、いろんな知識をお持ちです。そのとねりこさんが重い時代をKIINA.の歌声に乗せてお話下さるのが今から楽しみでたまりません。無理なさらない程度でお話下さいね。
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