「群青の弦」A・B・Cタイプリリースの後、3月4日にKIINA.は声帯ポリープの発症を公表。この月に予定されていた各地での公演が中止に、3月11日の「全音楽界による音楽会」と13日の「のど自慢」の出演を見合わせました。
無事に手術を終えたのち4月6日に西新井文化ホールで行われた長良グループの「夜桜演歌まつり」では、歌唱は出来ないもののトークで参加してくれました。
3月28日に声帯ポリープの名医の先生にオペをしていただいたこと。半年前からレコーディングが続いて喉の不調を感じていたこと。「限界突破×サバイバー」の熱唱を頑張り過ぎたこと。
休養に入る前に、何としてでも明治座・博多座・新歌舞伎座・御園座を回る劇場公演を完走させなければいけない。KIINA.は喉の調子を戻すことに必死だったことでしょう。
氷川きよし 声帯ポリープ完全復帰メッセージ【公式】 - YouTube
4月14日の習志野公演は12月1日に延期、22日の橿原公演から復帰と聞いて急遽チケットを取りました。超久しぶりの夜行バスでの往復です。
この公演で、病気休養前の通常コンには入っていなかった曲をKIINA.は歌ってくれました。
美空ひばりさんの「一本の鉛筆」です。
夜の部のMCで「今、平和という時代がちょっと遠のいてしまった感じがしています。一番大事なのは平和です。母たちの祈りがあって平和がある。今歌いたい作品があります」と語ってくれました。
ひばりさんが「一本の鉛筆」を歌われた経緯について、ノンフィクション作家の前田和男さんが「昭和街場のはやり歌」という本で詳しく書かれたことを、ちょうど半年前のこのブログでご紹介しました。
☆一本の鉛筆:ひばりさんの願い・Kiinaの想い〜Kiinaの歌声を味わい尽くす♬番外編 - 氷川きよしについて ★ by とねりこ
自分で読み返してみて、あながち的外れでもないかなぁと思っていますがσ(^_^;)
橿原コンの夜の部のアンコール前に会場を抜け出す際、スタッフの方に「『一本の鉛筆』をインスタに上げて欲しい」とお願いしました。
KIINA.の独立が発表された際に、以前のインスタの記事はすべて削除されてしまったので、この時の「一本の鉛筆」の歌唱シーンを観ることは叶わなくなってしまいました。
折しも、今年度のノーベル平和賞に日本の被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が選ばれたというニュースが。
原爆で命を失くされた方、家族や大切な人を失くされた方、人生を狂わされた方々の思いを受けとめて「一本の鉛筆」を歌われたひばりさん。
その魂を受け継ぐのはKIINA.しかいないと確信しています。