2002年2月6日、氷川きよし名義のシングル第3弾として「きよしのズンドコ節」がリリースされました。
https://columbia.jp/artist-info/hikawa/discography/CODA-2020.html
歌詞は歌ネットより。
https://www.uta-net.com/song/15131/
デビュー当時からのファンだったKii友さんに伺ったら、第3弾も当然股旅もので来ると皆さんが思っていらしたそうです。
「箱根八里の半次郎」「大井追っかけ音次郎」で異例の大ヒットを飛ばしたのですから、当然世間もそう見ていたでしょうね。
股旅ものとはまったくテイストの違う、古くは海軍小唄、或いは小林旭さん、ドリフターズのイメージの強い「ズンドコ節」という大変化球を持ってくるという大きな賭けは、おそらく長良会長でなければ思いつかなかったでしょう。
天才近田春夫さんが、この新譜が出た早々に「読むヒット」の中で既に大絶賛してらっしゃいました。
いわく「この曲目によって、デビュー曲は運だけだったかもしれないと評価を保留していた人たちに、氷川きよしの凄さをまざまざと知らしめた」
「氷川きよしの歌唱は、王道の演歌を思わせながら、他の先輩方とは違うグルーブの概念を歌い方の核にきっちり持っている」
「誰もが、聴けば氷川きよしがとてつもない可能性を秘めた日本語の歌い手であることを知るだろう」
この時点でこれほどまでに的確に「ズンドコ節」という曲と歌手氷川きよしの凄さを言い当てた方は、近田さんの他にいらっしゃらなかったのではないでしょうか。
長良会長ご自身も、ひょっとしたら「当たるか外れるか、五分五分」と思ってらしたかもしれません。
この曲のリリースをリアルタイムで経験していない私の推測は或いは的外れかもしれませんが、成功の鍵になったのは「ズン ズンズン ズンドコ」という囃子詞(はやしことば)を詞の冒頭に持ってきたことで、極端に言えば歌の内容を知らなくてもその後に来る「きよし!」という合いの手には誰でも参加出来るように作られていたことと、歌詞がただの淡い恋愛ものではなく3番で故郷を思い母を想う内容になっていて聴き手が共感出来たことが大きかった気がします。
結果的に「きよしのズンドコ節」はオリコン5位を記録し、「一発屋」の嘲笑を蹴散らしたばかりか氷川きよしの名前を全国区にしました。
近田さんも指摘されたのんびりしたテンポとオーソドックスな歌唱は、時を置かずに全国の盆踊りの定番にもなり、「ズンドコと言えば氷川きよし」「氷川きよしと言えばズンドコ節」と、Kiinaの代名詞にもなりましたね。
どんな歌手でも、歌手になった以上は誰もが曲名を知るヒット曲を持ちたいと願うものでしょう。それをKiinaは「ズンドコ節」で手に入れました。2008年の紅白歌合戦では大トリで歌うという栄誉にも浴しました。
Kiinaにとって「ズンドコ節」がどんな存在だったか。真実のところはKiinaご本人にしか分かりません。
でも、コンサートのMCで「いつまでもズンドコ節の氷川きよしと言われたくない」「もうひとつヒット曲が、自分が納得できる曲でヒットが欲しい」と繰り返しお話ししていた気持ちは分かるような気がします。
きっとその望みは「限界突破×サバイバー」との出逢いによって叶えられたのでしょう。
それでも。
やはり「きよしのズンドコ節」はKiinaにとって宝物であり、幸運もたらす魔法の歌なのだと思います。
2017年夏のアニサマシークレットゲストで「限界突破×サバイバー」を歌った時に、どこかアウェー感が拭えずにいたKiinaが「ズン ズンズン ズンドコ」とひと節歌った途端に「きよし!」と2万人が応えたあの光景、あの時のKiinaの表情!
誰もが知っているフレーズだったからこそ、アニソンファンの人たちにとって初めてのKiinaであっても瞬時に反応出来た。Kiinaに対して歓迎の気持ちを表すことが出来た。
つくづく歌の力は凄いと思います。
長良会長は、コンサートでは必ず「ズンドコ節」を歌うようにとおっしゃったと聞きました。
もしかすると、その時その時でこの歌に対するKiinaの心境は同じではなかったかもしれません。
でもやはり「ズンドコ節」は紛れもなくKiinaの代表曲のひとつなのだと思います。
作詞の松井先生、作曲の水森先生、編曲の伊戸先生に「よくぞ、この詩をつけ、このメロディーをつけ、この編曲にしてくださった!」と感謝しています。