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氷川きよしについて ★ by とねりこ

☆きよしのズンドコ節〜Kiinaの歌声を味わい尽くす♬31

200226日、氷川きよし名義のシングル第3弾として「きよしのズンドコ節」がリリースされました。

https://columbia.jp/artist-info/hikawa/discography/CODA-2020.html

歌詞は歌ネットより。

https://www.uta-net.com/song/15131/

 

デビュー当時からのファンだったKii友さんに伺ったら、第3弾も当然股旅もので来ると皆さんが思っていらしたそうです。

「箱根八里の半次郎」「大井追っかけ音次郎」で異例の大ヒットを飛ばしたのですから、当然世間もそう見ていたでしょうね。

股旅ものとはまったくテイストの違う、古くは海軍小唄、或いは小林旭さん、ドリフターズのイメージの強い「ズンドコ節」という大変化球を持ってくるという大きな賭けは、おそらく長良会長でなければ思いつかなかったでしょう。

 

天才近田春夫さんが、この新譜が出た早々に「読むヒット」の中で既に大絶賛してらっしゃいました。

いわく「この曲目によって、デビュー曲は運だけだったかもしれないと評価を保留していた人たちに、氷川きよしの凄さをまざまざと知らしめた」

「氷川きよしの歌唱は、王道の演歌を思わせながら、他の先輩方とは違うグルーブの概念を歌い方の核にきっちり持っている」

「誰もが、聴けば氷川きよしがとてつもない可能性を秘めた日本語の歌い手であることを知るだろう」

 

この時点でこれほどまでに的確に「ズンドコ節」という曲と歌手氷川きよしの凄さを言い当てた方は、近田さんの他にいらっしゃらなかったのではないでしょうか。

長良会長ご自身も、ひょっとしたら「当たるか外れるか、五分五分」と思ってらしたかもしれません。

 

この曲のリリースをリアルタイムで経験していない私の推測は或いは的外れかもしれませんが、成功の鍵になったのは「ズン ズンズン ズンドコ」という囃子詞(はやしことば)を詞の冒頭に持ってきたことで、極端に言えば歌の内容を知らなくてもその後に来る「きよし!」という合いの手には誰でも参加出来るように作られていたことと、歌詞がただの淡い恋愛ものではなく3番で故郷を思い母を想う内容になっていて聴き手が共感出来たことが大きかった気がします。

 

結果的に「きよしのズンドコ節」はオリコン5位を記録し、「一発屋」の嘲笑を蹴散らしたばかりか氷川きよしの名前を全国区にしました。

近田さんも指摘されたのんびりしたテンポとオーソドックスな歌唱は、時を置かずに全国の盆踊りの定番にもなり、「ズンドコと言えば氷川きよし」「氷川きよしと言えばズンドコ節」と、Kiinaの代名詞にもなりましたね。

 

どんな歌手でも、歌手になった以上は誰もが曲名を知るヒット曲を持ちたいと願うものでしょう。それをKiinaは「ズンドコ節」で手に入れました。2008年の紅白歌合戦では大トリで歌うという栄誉にも浴しました。

 

Kiinaにとって「ズンドコ節」がどんな存在だったか。真実のところはKiinaご本人にしか分かりません。

でも、コンサートのMCで「いつまでもズンドコ節の氷川きよしと言われたくない」「もうひとつヒット曲が、自分が納得できる曲でヒットが欲しい」と繰り返しお話ししていた気持ちは分かるような気がします。

きっとその望みは「限界突破×サバイバー」との出逢いによって叶えられたのでしょう。

 

それでも。

やはり「きよしのズンドコ節」はKiinaにとって宝物であり、幸運もたらす魔法の歌なのだと思います。

2017年夏のアニサマシークレットゲストで「限界突破×サバイバー」を歌った時に、どこかアウェー感が拭えずにいたKiinaが「ズン ズンズン ズンドコ」とひと節歌った途端に「きよし!」と2万人が応えたあの光景、あの時のKiinaの表情!

誰もが知っているフレーズだったからこそ、アニソンファンの人たちにとって初めてのKiinaであっても瞬時に反応出来た。Kiinaに対して歓迎の気持ちを表すことが出来た。

つくづく歌の力は凄いと思います。

 

長良会長は、コンサートでは必ず「ズンドコ節」を歌うようにとおっしゃったと聞きました。

もしかすると、その時その時でこの歌に対するKiinaの心境は同じではなかったかもしれません。

でもやはり「ズンドコ節」は紛れもなくKiinaの代表曲のひとつなのだと思います。

作詞の松井先生、作曲の水森先生、編曲の伊戸先生に「よくぞ、この詩をつけ、このメロディーをつけ、この編曲にしてくださった!」と感謝しています。

コメント一覧

藪つばき
izuさんへ
きよしさんの呼び方について、気持ちを解っていただいて嬉しく思いました。そして投稿までして下さってありがとうございます。
とぬりこさんのこの部屋に、つい最近お邪魔させて頂きましたが、こんな自分でも無事投稿出来たのが嬉しくてついつい何度もお邪魔してしまいました。
izuさんのコメントもいつも拝見させていただいています。
確か2018年からのファンでいらっしゃいましたよね、お互い新参者ですが、これからも古くからのファンの方々に導かれながら、ファンの道をまい進して行きましょうね。

私は何事もペースが遅くて本当にボチボチなんですけどね…。
よろしくお願い致します。
izu
籔つばきさん、私もあの3番の歌詞が聴く人の心に届いたと思っています。松井先生がkiinaの気持ちを汲んでくださって、kiina自身も感謝していました。

そして、kiinaの呼び方、私も籔つばきさんの気持ちがわかります。私もファン歴が短く、それでもkiiちゃんという呼び方がやっと自分で出来るようになってきたところでした。ところが、コンサートに行くと、西さんまでkiinaさんとかkiinaと呼ぶようになってきました。復帰した時の掛け声も「kiina」がしっくりいくと思い、思いきって今年1月1日から投稿もkiinaにかえました。でも、お友達にkiinaの事を話す時は、呼び捨てができなくて、ついついkiinaさんと言ってます。きっと復帰する頃には自分でもkiinaがなじんでくると思っています(*^-^)。
藪つばき
おはようございます。
昨日の「きよしのズンドコ節」についてのお話し、長文でしたがとても興味深く読ませていただきました。
私がきよしさんのファンになったのはずっと後なので、その頃はきよしさんを知らず…でも
「きよしのズンドコ節」はテレビで聴いていたので知っていましたが、それがまさか歌謡史に残るほどの大ヒット曲だったとは不覚にも
知りませんでした。
とねりこさんの仰られる通り、最初にくる
ズンズン、ズンドコの部分もそうですし、なんと言っても三番の歌詞の中に、ふるさとのことや母のことが書かれていたのが、世の人の共感を得たのではないでしょうか。
そして、あの歌詞があり作曲があり編曲があったからこそのヒット曲であり、きよしさんの自覚がついていかないぐらい、世の人に愛され大ヒット曲になっていったのですね。

その頃「きよしのズンドコ節」で盆踊りが盛んだったんですね、
私も一度でいいから「きよしのズンドコ節」で
盆踊り踊ってみたかったな~

余談になりますが、私はファン歴がそう長くないせいか、遠慮のようなものがあり、きよしさんのことを、kiinaとはまだ呼びづらくて…
これからは、kiinaさんと呼ばせてもらおうかなと思っています。
izu
近田春夫先生のお言葉、本当に嬉しいですね。氷川きよしという歌手を正眼視してくださったコメントでした。
ズンドコは、当時氷川きよしファンでもなかった私が知ってるくらいだから、kiinaの代表曲といわれるのもわかります。

レコーディングの時に、松井先生が3番をあえて書き直してくれたそうですね。当初は、女の子シリーズでコンビニに行って、歯ブラシを買い、たまりにたまって50本という歌詞だった。レコーディングの時、体の弱い母の事が気がかりで泣いてしまって、松井先生が気持ちを汲んでくださって、リアルにお母さんを思う氷川の気持ちにかえましょうと言ってその場で歌詞をで変えてくださったとのこと。氷川きよし20周年記念特番で、徳光さんとの対話で話されていました。そんな秘話を思い出して、その時の録画したDVDをまた見直して、結局2時間近く全部見てしまいました。kiinaの20出勤を迎えた時の思いが、伝わって来ました。
ゆめ
WOWOWの再放送で見た
kiinaが、氣志團万博で ズンドコ節を歌っている時に

会場が一つになり、kiinaの笑顔もサイコーで
嬉しそうで、清々しい姿に
kiina良かったね、頑張ってきたもんね
サイコーだよ❣️と、胸に迫ってくるものがありました。

私もとねりこさんと同じように、これから先は
kiinaの好きな歌を好きなように
歌ってくれる、それだけで充分です…。
充分すぎます。
とねりこ
Kiinaが「みれん心」をリリースした時に、近田さんは「氷川きよしのシングルを改めて聴いてみると、一口に演歌と言ってもこんなにフォーマット、パターンがあるのかとびっくりした。ひょっとするとこの人は演歌の標本作りをしているのか?」という意味の感想を書いていらっしゃいました。
この時の「演歌の標本箱」という言葉が強く印象に残ったのですが、演歌歌手としてのKiinaの足跡を振り返ってみて、この時の近田さんのご指摘はまさに正鵠を射ていたように思います。

Kiinaは股旅ものからリズム歌謡、王道演歌、音頭ものと、およそ演歌・歌謡曲とジャンル分けされるあらゆる歌を歌ってみせて、それをヒットさせ、今の時代の音楽シーンにおけるこのジャンルの可能性を世に投げかけました。
それはビジュアルも含めて、声のちから、歌唱力、表現力の全てを兼ね備えたKiinaだからこそ実現出来たことだったと思います。

Kiinaが23年かけて耕し続けた演歌・歌謡曲の土壌の上で、Kiinaに続く若い世代の歌手の皆さんは、ある人は爽やかふるさと演歌を、ある人は女歌を、ある人はかつての西城秀樹さんのようなロック調歌謡曲をと、それぞれの適性に合わせたそれぞれの花を咲かせようとしています。

Kiinaはもうそこから旅立って次のステップに進んでもいいのです。この先どんな歌を歌うにせよ、私はKiinaの歌いたい歌、Kiinaの進む道を応援するだけです。
き〜ちゃん
ズンドコ節と言ったら、私にとってはKiinaファンになる前はドリフのズンドコでした。
以前も書きましたが、ご近所の方から氷川きよしデビューの事を教えられていたものの、全く興味がなく18年来てしまい、その間は子育てをしながら民間の合唱団やらオーケストラに所属していたので、ほとんどテレビを見ることもなく過ぎてしまいました。15周年の頃のきよし君事という時すら、そのニュースさえも全く知らずでした。
きよし君のズンドコ節がそんなにも国民的歌手と言われるほど耳馴染みになっていたとは、ファンになって初めて知った事でした。
今では「きよし!」って歌に参加できる幸せを感じながらペンラを振っていますW
アキラのズンドコは知りませんでしたし、ドリフのズンドコも今では歌詞も忘れてしまって、ズンドコ節って言ったらきよし君のしか頭に浮かびませんが。。。
近田先生のきよし君評はファンになってからのしかわかりませんが、ありがたいことですね!
Kiinaには、正視眼できちんとした見方をしてく下さってる方が多くいることがとても嬉しいです!!

Kiinaのこれまでの歌にまつわるお話し、毎回とても興味深く読ませていただいています。
ありがとうございますm(_ _)m
せり
おはようございます。ズンドコ!といえばきよし!と続く老若男女に愛されてる国民歌謡です。予想を覆しての第三弾、会長の賭けが見事にはまりましたね。氷川きよしの名を全国に知らしめた大切な一曲。コミカルな部分もありながらもなつかしさと母へ故郷へのおもいが詰まったズンドコは盆踊りの定番にもなりました。それにしても近田さんの慧眼には恐れ入りました。この曲はやさしいようで歌ってみると難しいとどなたかがおしゃってましたがkiinaの歌声はさすがで合いの手の振りがさらに曲を親しみやすくパワーアップしてますよね。氷川きよしとして一番の代表曲になりました。ズンドコきよしは卒業したいともらしたkiina ですがその後には限サバとのめぐり逢いが待ってましたね。そうですね、アニサマでの感動のきよしコールはkiinaにとってもファンにとっても忘れられない出来事でしたね。
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