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氷川きよしについて ★ by とねりこ

☆三味線旅がらす②〜Kiinaの歌声を味わい尽くす198-2

私が一番惚れこんだのは、松井先生が紡ぎ出された詩の世界です。

「雪の渡り鳥」の鯉名の銀平や「番場の忠太郎」のようにある特定の人物を描いているのではないので、「三味線旅がらす」の主人公がどういう人物でどういう過去があって今の境遇にいるのか、聴き手が想像の翼をいくらでも広げられます。

歌詞を再度貼りつけますね。

https://www.uta-net.com/song/92245/

 

1番冒頭の「流れ長脇差 撥に換え」

このたった1()だけで、やくざと言っても誰とも親分子分の関係を持たない一匹狼の渡世人が、足を洗って三味線弾きになったという主人公の人物像が描かれています。

どんな事情があったのでしょうか。

 

「風の吹きよで 掌返す」

そんな浮世にいるのがほとほと嫌になるような、手酷い裏切りを目の当たりにすることがあったのかもしれません。

次の2番の歌詞でおぼろげながら主人公の傷の元が明かされているように思います。

 

2番で描かれているのは、過去に捨ててきた色恋沙汰です。でも捨て切れずに錆になって心の底に沈殿したまま2年の月日が流れました。

 

「縁でこそあれ 末かけて」

この曲が発表された日、ぷーこさんから「歌詞の意味が分かりましたか?」とメールをいただきました。ぷーこさん、覚えてらっしゃるかな?

自分では何となく分かったつもりでいましたが、改めてそう訊かれてみると、この「縁で〜」の部分だけが前後の文脈とニュアンスが違います。

「これは何かのフレーズをはめ込んだのかな?」と思い直してネットで検索すると、「『縁でこそあれ末かけて』は、新内節『蘭蝶』の有名な一節」という解説に行き当たりました。

 

「縁でこそあれ 末かけて」の1行をご覧になって、すぐに新内と気がつかれた方もいらっしゃったでしょう。私は知りませんでした。

新内節には「蘭蝶」と「明烏」という代表的な作品がありますが、そのうちの「蘭蝶」は、男芸者の蘭蝶がお宮という妻がありながら吉原の遊女此糸と恋仲になる。それを知ったお宮が此糸に「夫とは『縁でこそあれ末かけて』と誓った仲である。どうか別れてくれ」と頼みこむという、有名な口説きの場面なのだそうです。

此糸は蘭蝶と別れることを約束しますが、結局二人は心中してしまいます。

 

「旅ゆけば〜」と来たら浪曲、「絶景かな絶景かな」と来たら歌舞伎、と同じように「縁でこそあれ」とくれば新内節というお約束になっているのですね。

「三味線旅がらす」のテーマは新内、と言われていましたが、松井先生は歌詞のどこにも「新内節」という言葉を入れずに、この曲のテーマをはっきりと示してみせました。

 

そして、もうひとつ。

主人公が語る「蘭蝶」は心中ものです。2番の前半で語られた主人公の過去の恋は、もしかすると心中の一歩手前で踏みとどまったような深刻なものだったのかも知れない。

主人公は「蘭蝶」を語りながら自分の過去の恋と重ね合わせているのかもしれません。

 

一般的に演歌の歌詞というのは、尺の都合で1番と3番だけ歌ってもストーリーが破綻しないように2番には無難な色恋物を差し込む構成になっていることが多いのですが、「三味線旅がらす」の2番はこれだけ中身が濃い、というか2番が全体の中で最も要の位置に置かれているような気がします。

 

1番と2番で主人公の人となりは語り尽くされたし、3番はあってもなくてもいいくらいかな?と、長い間思っていました。

でも、違いました。

「粋がいのちのやまがた折り」がなぜ崩れるのでしょう?

(「やまがた折り」とは、糊を効かせた手拭いを頭頂部で山折りにする被り方のようです)

「粋」の乱れは、心の乱れの表れ。

春の雨が手拭いを濡らすだけではない、捨ててきたはずの過去の恋も思い出されて心が乱れるのではないでしょうか。

 

主人公の新内流しさんは、心の内に様々なものを抱えながら、そんな自分も世間も風のように受け流していくことで身につけた「気まま向くまま」の人生なのかなと、松井先生がサラッとお書きになった歌詞から勝手にイメージを膨らませた私の「三味線旅がらす」です。

 

サラッと書かれているようで、実は無駄な言葉は一言一句たりとも使われていません。

松井先生がどれほど丹精を込めて「三味線旅がらす」の詩を綴られたか、演歌の職人技の粋を見せていただいたような気がします。

 

ここまでは、松井先生の歌詞への賛辞。

次は曲とアレンジ、MV、「新内節」について私の思いを書かせていただきたいと思います。

 

というわけで、まだまだ続きます。

コメント一覧

サファイア
とねりこさん、「(笑)」というのは「ほほえましい」というニュアンスで書いたもので、決して「嘲笑」とか、そういう意味ではありません(私も凝り性(オタク)なので、とねりこさんの感じはわかるつもりです)。
でも、とねりこさんを誤解させるような書き方をしたことは、反省いたします。 すみませんでした。
藪つばき
こんにちはー。「三味線旅がらす」一読みすると、さらりと流れるような、何気ない詞のように思っていましたが、実は一言一言に奥深~い意味が込められているんですね。さすが松井先生らしいです!特にとねりこさんが一番の要ではないかと言われる2番の歌詞は、私には理解が難しく、何となく分かったような気分で聴いていました。意味ももう一つよく分からない曲が、どうして特別に好きなのかな?と不思議でもありますが、昨日からのとねりこさんの詳しい解説でよ~く分かり、今までより以上に私の大好きな曲になりそうです!。
ゆきやなぎ
こんにちは。
昨日より大好きな、三味線旅がらすを、とねりこさんの多方面に亘る詳しい解説を読まして頂いき、この曲の奥深さを今更ながら感じいってます。

投稿されている皆さまも、三味線旅がらすが、大好きなのですね゙。
私も、当時のことを今時のように思い出しました。
この曲が発売されて最初のコンサートが和歌山市だったような気がします。同じ関西圏なのですっとんで行きました。遠く大分県のきよ友さんが瀬戸内を通って来られ、大いに盛り上がったこと。
出待ち、入り待ちも、近くまでkiinaが来て下さリすごく嬉しかったです。

遠い思い出、今でも「チントンシャン」が大好きです。
すみません。こんな投稿になりました。
とねりこ
せりさん、Kiinaはたぶんそんな風に考えて歌ってはいないと思います。
でも、Kiinaの歌声でどんな物語を想像するかは聴き手の自由ですから(*^_^*)

サファイアさん、「まだまだ続く」は「(笑)」ですか?
オタクが本気を出すとこうなります。
ご興味のない記事は遠慮なくスルーしてくださいね。
せり
おはようございます。とねりこさん、大好きとあってさすがの考察は見事ですね。一見シンプルでサラッとした味わいの詞の余分なものをそぎ取った中に込められた深い表現は松井先生の職人技ですね。とねりこさんがこの曲の真髄をしかっり受け止められて松井先生も本望だと思います。水森先生の曲調も素晴らしいです。kiinaの「チントンシャン」という歌声も大好き。
サファイア
>演歌の歌詞というのは、尺の都合で1番と3番だけ歌ってもストーリーが破綻しないように2番には無難な色恋物を差し込む構成になっていることが多い
そういえばとねりこさん、私が前に「『大丈夫』で、ほとんど2番が端折られるのはなぜか?」とお聞きした時に、そう仰ってましたね。

・・・しかし、さすがとねりこさんが一番好きな(kiinaにそう仰ったと言ってましたよね?)曲ですね。 まだまだ続くとは!(笑)


余談ですが、先日買った「きよしこの夜2018」、私はきっと「ヨイトマケの歌」が一番気に入るかな?と推測してましたが、なんと、「愛の讃歌」が一番気に入りました。
どうも私は「シャウト系?」が好きなようです(笑)。
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