Kiina19枚めのシングル作品「あの娘と野菊と渡し舟」は2011年2月2日のデビュー記念日に発売されました。
Aタイプと
https://columbia.jp/artist-info/hikawa/discography/COCA-16452.html
Bタイプのジャケ写です。
https://columbia.jp/artist-info/hikawa/discography/COCA-16453.html
Kiinaの歌唱はこちら↓
https://m.youtube.com/watch?v=1ygVXV1j8Dk
歌詞は歌ネットより。
https://www.uta-net.com/song/108227/
初恋の儚さ、野菊、渡し舟とくれば、やはり誰でも伊藤左千夫の「野菊の墓」を連想するのではないでしょうか。PVの映像も明治時代の服装でしたね。
前作の「虹色のバイヨン」から打って変わってノスタルジックな望郷歌です。
PVの映像がKiinaではなく専門の俳優さんだったことについて、Kiinaは雑誌のインタビューで「この歌の主人公のキャラクターは、ぼく自身とはちょっと違うように感じたので、僕は語り手としての立ち位置で歌った方が良い作品だと思った」と説明しています。
歌の世界観に合わせて、ジャケ写もPVの中でも黒髪にしていますね。「やはりこの歌は黒髪だと思うんです」とKiina。
でもでも…
私としては、黒でもいいからもう少し違うヘアスタイルにしてほしかった。特にPVは。
その気持ち、12年間モヤっとしたまま口に出せませんでした。「きよしくん、その髪はあんまりじゃない?何か事情があったの?」とまで思いました。
それはそれとして。
曲自体は、勝負曲としてリアルタイムで歌っていた時より5年後10年後に聴き直した時の方が、しみじみと胸に沁みるようになりました。
水木れいじ先生の歌詞は一見淡々と初恋の思い出を綴っているように見えて、実は練りに練られていますよね。3番の最後で「帰りたいなァ…」「夢でいいから」「もういちど」と倒置法を畳みかけることで、昔に帰りたい気持ちがより強調されています。
ここがこの曲のクライマックスだと思います。
そんなこんなで、久しぶりにページを開いた「野菊の墓」。やはり初恋の純情と美しさと儚さを描いた金字塔です。
でも、読み手が歳を重ねて世間ずれしてくると、民子と政夫以外のところも気になってくる。
小説の最後の一節。「民子は余儀なき結婚をしてついに世を去り、僕は余儀なき結婚をして長らえている」
民子の夫だった人は、心を開いてくれないまま死んだ最初の妻を「縁が薄かった」と整理をつけてサッサと再婚したでしょう。
でも、政夫の妻になった人は、何も知らずにずっと夫に「余儀なき結婚」と思われながら暮らしていくんですよね?
それは随分残酷なことではないのかな?と、この妻の身になって考えてしまいます。
「幽明はるけく隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ」と小説は美しい言葉で結ばれていますけれど、取り残された政夫の現世での妻は?と。
もとより「あの娘と野菊と渡し舟」が「野菊の墓」がモチーフとはひと言も言われていません。
でも、私はこの歌を聴くたびに、何年経っても初恋の人を忘れないことの、ある意味での残酷さということを思わずにはいられません。思い出が美しければ美しいほど、なおさらに。