2000年2月2日発売。
https://columbia.jp/artist-info/hikawa/discography/CODA-1812.html
歌詞はリンク先の「歌ネット」より。
https://www.uta-net.com/song/12807/
この曲のヒットが日本の歌謡界を大きく変えました。Kiinaの登場はほとんど死に体になっていた演歌という音楽ジャンルを少なくとも20年生き延びさせるカンフル剤になりました。
私はKiinaのデビューをまったく知りませんでした。
どうしてだろう?と後から振り返って考えたら、この時期私はバレエ(観るのも踊るのも)に夢中で、特に2000年はお世話になっていた教室の周年で大がかりな発表会が待っていて、他のことはまったく目に入らなかったようです。
随分経ってから朝のWSで福澤アナが「今大人気です」と紹介していたのを見た記憶はあるのですが、当時は演歌系の歌番組は見ていなかったので、その次に「この人が氷川きよしくんか」と認識したのは、たぶんレコード大賞をすっ飛ばして紅白歌合戦だったと思います。
「箱根八里の半次郎」は、歌詞も曲目股旅演歌のお手本のような作品ですね。
1番で現在の姿を説明(無宿者に身を落としてはや3年。旅がらすの生活に里心が付いてきた)、2番で、そんな半端者なのでと恋は諦め、3番でこれからどう生きるか(いつか親孝行の倍返しを誓う)を描くという、股旅もののセオリーをきっちり踏まえています。
あまりに整い過ぎていて、もし「やだねったら やだね」の歌詞が差しこまれていなかたら、いくら現代風の若いイケメンの青年が素晴らしい声で歌っても、やはりそれだけでは聴き流されていたかもしれません。
松井先生には、歌うのは若い青年だということは打ち明けないで作詞をお願いしたと伺いました。その際にコロムビアの担当 T村ディレクターからは「寄木細工」と「倍返し」の歌詞を必ず入れて欲しいと要望があったとか。それも踏まえて松井先生はサラサラと箱根を舞台にした若い渡世人の姿を描いてくださったのでしょう。
編曲のことは作詞と作曲ほどには話題にならなかったように思いますが、私は伊戸先生のイントロにも、とても惹かれます。大方の股旅演歌は、曲調に幾つかパターンがあって、メジャーならこんな感じ♪、マイナーならこんな感じ♪、イントロを聴いただけでは何の曲が始まるのか分からないことも。
「箱根」のようなインパクトの鮮やかなイントロはこれまで聴いたことがありませんでした。最初の1音ですぐに「あ!箱根だ」と分かります。そして、何百回も聴いているのに、イントロを聴くたびに「何が始まるんだろう」とワクワクします。
作詩・作曲・編曲・歌手、長良会長のプロデュース力、ひばりさんを失ったコロムビアの危機感、それからKiinaに一目惚れしたファンの熱狂、すべての要素が最高の状態で融合して奇跡的な化学変化を起こしたのでしょう。
叶わぬことですが、きょうこさんからいただいたデビュー間もない頃の温泉施設でのキャンペーンのDVDを観るたびに、「時間を巻き戻して、私もこの場にいたかった」と何度思ったことでしょうか。
デビュー前からのキャンペーンを含め3000回に及ぶツァーコンサートに劇場公演、テレビ、ラジオとKiinaは「箱根八里の半次郎」をいったいどれくらい歌ってきたのでしょう。
2005年の新宿コマ劇場で初めて生で聴いて以来、私も何百回となくペンライトを振り回しながら聴いてきました。
でも、何度聴いても飽きることがありません。いついかなる時もKiinaは初めて歌う曲のように真っ正直にこの歌に向き合って、決して馴れ合うということがなかったからだと思います。
この曲を貰った時に「何で私が⁈」と思ったと、最近になって本音を明かしてくれましたが、その時の正直な気持ちはどうであったとしても、Kiinaはこのデビュー曲を23年間誠心誠意心をこめて大切に歌ってきました。
股旅ものだから好きなのではなく、演歌だから好きなのでもなく、やっぱりKiinaにとって大切な曲だから、私はこの曲が好きなのだと思います。
余談ですが、「生まれ在所から身を隠すのに、杉の木立からたった三尺(1m弱)よけただけで間に合うんだろうか…」とずっと疑問に思っています。三尺というのが歌詞として一番収まりがいいんでしょうね^_^
izuさん、「箱根」のMVはお持ちですか?
Kiinaいわく、訳の分からないうちに箱根に連れて行かれて立ち回りのロケをやらされたそうですが、もう、可愛さ満開です!
チャンバラなんかしたことのないKiinaの必死の立ち回り。「えっ!あれで勝っちゃたの〜?」というラストシーンまで、すべての場面が愛おしいです。