2011年6月1日、アルバム「演歌名曲コレクション14〜あの娘と野菊と渡し舟〜」Aタイプ(初回限定盤)と
https://columbia.jp/artist-info/hikawa/discography/COZP-513-4.html
Bタイプ(通常盤)が発売されました。
https://columbia.jp/artist-info/hikawa/discography/COCP-36759.html
2月2日のシングル「あの娘と野菊と渡し舟」と6月1日のアルバム発売の間に、大きな出来事がありました。
3月11日の東日本大震災です。
こちらのプログを見てくださっている方の中にも大きな被害に遭われた方、大切な人を亡くされた方が沢山いらっしゃると思います。
この日Kiinaは大阪・グランキューブでのコンサートの2日目でした(私は仕事で大阪まで行けず)。
三陸沖を震源とする地震が関東を超えて大阪まで届いたんですね。
歌唱の最中にホールが揺れ、コンサートは一時中断。でもKiinaはスタッフがいくら袖に避難するように促してもステージを離れず、「皆さんのことは僕が守ります」と言ってくれたそうですね。
伝え聞いた私より、実際にその場にいたぷーこさんやまちさん、きよしみんさんの方が正確だと思います。
その後の想像を絶する被害の大きさ、被災者の多さに、アーティストの方々も次々と支援に立ち上がりました。
優しいKiinaも、どれほどすぐに被災地に駆けつけ被災された方々を励ましたかったことでしょう。でも、事務所から単独行動はしないように厳命されていました。
恐らくは、音事協(音楽事業者協会)として組織立って支援活動をするから、という理由だったのだと思います。確か6月には「演歌キャラバン隊」が組織され、北島三郎さんを筆頭に演歌歌手の皆さんによる歌の支援活動が各地で始まりましたね。Kiinaたち長良の皆さんは9月30日に埼玉県加須市の避難所を訪問したのではなかったかと思います。
確かにきちんと支援組織を整えて、揃いの法被も誂えて、参加者のスケジュールも調整して活動をする方が効果はずっと大きかったでしょう。
でも団体での支援は支援として、それまでの間どれだけKiinaは個人で出来ることをしたかっただろうと、あの頃のKiinaの焦燥感を想像すると今でも胸が痛みます。
組織に所属している以上は組織のルールが優先されるのは仕方のないことですから。(一度だけ西さんと被災地を訪問したと、後で打ち明けてくれましたね。確か事務所から叱られたんじゃなかったかな?)
Kiinaに限らず、多くのアーティストが「自分が何を為すべきか」を自分自身に問いかけた、そんな1年だったのではないでしょうか。
偶然にも、NHKBSプレミアムで「あまちゃん」が再放送されていて、出勤前の慌ただしい中で観ながら、あの当時に感じていたあれこれを思い出していました。(のんちゃんはクレジットが「能年玲奈」ちゃんでしたね)
演歌キャラバン隊とは別に、長良グループでは4月に開催された「夜桜演歌まつり」が急遽復興支援のチャリティーになりました。
公演終了後に出演歌手の皆さんが募金箱を前に立って募金を呼びかけました。
もちろん私はKiinaの前の募金箱に(*^_^*)
今でも目の前のKiinaのお顔が目に浮かびます。