昭和歌謡曲の四天王と称された三波春夫さんの「雪の渡り鳥」、村田英雄さんの「無法松の一生〜度胸千両入り〜」、春日八郎さんの「別れの一本杉」三橋美智也さんの「哀愁列車」。
Kiinaはデビュー3年目にして、それぞれの方の代名詞と言っても過言ではない代表曲をアルバムに収録しました(三橋さんは「一本刀土俵入り」も)。
歌番組の中で「歌ってみました。挑戦しました」というのとは訳が違います。CDに吹き込むということは「これが自分の歌唱です」と後々まで責任を負うということです。
Kiinaの歌唱は、今聴いてもどの曲にも稚拙なところがありません。若いなりに大曲を前にして萎縮することなく、伸び伸びと歌っています。テクニックに自信のある人が陥りがちなオリジナルの物真似ではなく、明らかに「氷川きよしの歌声、氷川きよしの歌唱」になっています。
この頃のカラオケ誌のインタビューでKiinaがよく言っていた「自分の色で」の意味が、曲を聴いてみるとよく分かります。
「自分のカラーで」。言葉にするのは簡単ですが、偉大な曲のカバーに挑戦して、実際にそれを形に出来るのはほんのわずかな天才だけだと思います。
昨日の「哀愁列車」の書きこみに追加しようかと思ったのですが、一晩明けたら書きたいことが長くなったので、別立てにしました。
西さんの「演歌特選市場」の中で、西さんが「Kiinaさんと電話でお話ししましたよ。とってもお元気でしたよ」とお知らせくださいましたね(^o^)