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自然の力

2021-06-08 03:07:48 | 日記

皆様、おはようございます。フェイクの時間です。

お久ぶりです。これからは根拠のある内容になるべくよく調べて、絞って描いてきます。

 

 よくある妊活の情報について、私は何か不安のような危機感を持っておりました。私は医療というものに対しては、アンチ派かもしれませんが、いつもなぜかしら西洋医学というもには、疑問を持っておりました。そこで、睡眠、ストレス、など、どこにでもある、不妊治療の記事にもどうも、奇妙な違和感を感じずにはいられませんでした。「バランスの良い食事」というその一言にだけ、なにか直感ではあるが、喉に引っかかったもちでもあるかのように、どうも納得がいきませんでした。山に興味のあった私は、妻の気管支喘息の答えを見つけるために、この山の多い地方へ来たことをきっかけに、自分なりの喘息の改善方法を探し始めました。まずは片っ端から喘息に関する記事や、医療の専門書も読みあさった。私の中で過去に一度だけおきた妻の喘息の発作・・・あの時は正直恐ろしくて仕方がなかった。「これは、妻がいつか苦しんで死ぬ・・・」この、いつかは誰でも当たり前に起こることではあるが、そんな事実が、臆病すぎる私には耐えられなかった。そして、この素晴らしい自然の中に、答えがあると段々と気が付き始め、自分なりに山について実際、毎週のように一人山へ向かい、あちこち調べて回って歩いた。

 面白いことに、最果ての西のほうの国で、大きなものと一生戦い続けた農家のおっちゃんを私は知っているが。土地が昔よりもやせていっている、そのような話もそのおじいさんにお会いした時に聞いて知ってはいた。そして、その言葉にヒントを得て。どうも自然に近づくと、体が当たり前のように昔の一般的な体へともどるのではないかと、一人考え抜き何となくではあったが、ある種の結論のようなものに行き着いた。

 これまた山に詳しい、べつのところで知り合ったおじいさんから聞いた話ではあったが、花崗岩から湧き出ている水は飲めるときき、山へ行き家がこれ以上ないといった場所まで入って行き、山奥で実際に500ミリほど飲んでみたが、とりあえず私の体は壊れることはなかったし、その後なんともない(どうしても飲まれるという珍しいであろう方は、全て自己責任でお願いします)。結果として一つの結論のようなものに行き着いた。

 周知の事実のように、一般的に人間の70パーセントが水だといわれている。その蛇口から出てくる水さえも私は信じてはいない。こういう、何事にも疑問を持つ一見面倒なこの人間は、どうも長生きするらしい。事実私はこの5,6年の間にほとんど体調を壊していない。肝心の妻の喘息はというと・・・。学者でもない私には理由はわからないが、事実改善しているし、かかっている医者にも薬がいらないところまで来ているようなことも言われ、やはり、勝手な理屈かもしれないが、どう考えても今までの私の生きてきた40数年の中での様々な点のような、ありとあらゆる出来事が、全て頭の中ではくっついて行く。そして一本の線のになり繋がってゆく。「地球はいや人が作り出すもの全ては元の姿にはもどらない・・・」これが答えではなかろうか。

 嘘のような話だが、その土地のもの、大まかには、時期のものが安く栄養価も高いといわれている。水と旬のものをなるべく体に入れることに気を付けて、おおよそ体の中身が変わるのが3か月で一巡として、食べ物と水を気を付け始めてから、半年は経過しているだろうか・・・故に2回体の中身が変化していることになるだろう。年齢的な新陳代謝の衰えの理屈は、私にはわかるすべもない。結果として結婚14年目にして二回目の妊娠だ。一回目は二年ほど前だっただろうか。残念ながら、そういうことになった。意味不明な一回目の妊娠では仕方なくそうなり、二回目は子宮外妊娠で妻が死にかけた、片方の残った卵管も残ってはいるが可能性の問題らしかった。やっとできた三回目は死産、四回目は現在進行形で妻のおなかの中で、今のところ無事なようだ。なんにでも可能性はあるようだ。

怖い内容の映画のセリフで、「負け戦でも行くんだよ」なんていう格好の良いセリフがあったが、そういった可能性の話の内容であると私にはそうとれてしまう。


 私は、今年の秋になる赤い実をもって、妻には内緒で15倍のその実を飲みこもうと一人考えて不動産や残ったもの、離婚届の準備、その他私の馬鹿な人生の中からの世の中の地雷というか、機雷というか(地雷は私は最悪の兵器なのでキライ)などとおちを考えながらも、世の中の地雷の避け方の方法、人の見分け方、フェイクニュースの見分ける方法など、そういったものを書き残そうと思っていたのだが、これで、そのこともできなくなったようだ。私は究極の負け犬で結構だ。だが、西洋医学にボロボロにされた体は事実何かがおかしく、医師に電話してある質問を投げかけたのだが、答えられないならそう答えてくれと言ったら、「答えられません」とそう答えられた。結果そういう話なのだろう。私はすでに負け越し決定だし。実際寝ぼけてはいた。今更逆転劇など、起こる可能性もないと実際に思うし、事実そこまでこの国は甘くはない。これも話すと長くなる話だが、私が個人的に西洋医学を恨むことの理由もそこにある。

 薬の追加追加の空白の20年で私の体はなぜだか、何処にもぶつけてもいないのに簡単に腫れてくるし、関節がやけに痛む。雨の日などはあちこち痛くて仕方がない。まぁ、これも自業自得だろうが。それを、ついこの前昔かかっていた医師にわざわざ電話して、本当の話をしてくれと言ったら、その担当医は病気療養中だというし、残る院長先生もまた、後で電話することになっていたが、一向に電話が鳴る気配はなかった。

これは、運命とでもいうべきなのだろうか、13代と聞いている家に養子に来た私の(私にはどうでもよい)その末裔(医療関係の家)、が半分独学で反対側の考えの東洋医学のお仕事に携わり、その西洋医学というものに対して疑いを抱き、本を片手に山へ向かい、今の現実に疑問を投げかけるかのような答えに気が付いてしまう。これは、難しい話なのだろうか。私ははっきりと声に出して話す問題であると考えてやまない。

 ここでも、ある程度の危ない話になってゆく、私は名前やお墓のあるお寺からすると、どうも語弊があるが純粋な日本人なのだろう。妻もお母さんの出身が今は土石流で流されてしまったそうではあるが、九州の「丸十(まるじゅう)」の家紋のある「島津家」の関連性のある家であると推測される、非常にセンシティブな問題ではあるとは思うのだが、そういう意味だけではないのだが、純粋に私は人の形になってくれることを願っている。

だが・・・肝心の土俵がない・・・。今週は倫理法人会の方に話をしに勇気をもってある意味での今は敵陣ど真ん中へと一人で行って土俵はないか聞くだけ聞いてみようと考えている。馬鹿者のくくりの私には真向勝負しか方法が解からないのだから仕方がない。

・・・少し20年ほど前に話を戻す、妻には悪いが、真実をここに書くことにする。これもよく聞く類の話だ。結婚前に妻と知り合ってすぐに、私が彼女に(今は妻)に手を出したのは少し後であったのに、なぜか妊娠3ケ月であったようだった・・・それは私ではなかったようだ(知り合いの女性がそれはあんたのこじゃない!と教えてくれた)事実、スキの多かった彼女は、とんでもない男に都合の良いことにされていたようだった。若かった私は、一度その男性を探してみたものの、途中からその男性を捕まえたところで解決するという話でもないし。そんなものどうでもよかった。私達がその時悩んだ結果、その命に私達の名前で紙切れに、悪魔との契約のようなサインをして、そういうセンシティブな結論に至った。何も知らない看護師は、私をにらみつけた・・・。かなり精神的にきついものがあった。だが、決して私は今の今まで一言も誰にもこのことは話してはいない。また皆で私を責めるのか・・・。またも私が悪いのか・・・。事実いまでもそう感じてしまい、小学校の時の椅子に張り付けられた背中に刺さった画鋲のようで、私には今も背中にその画鋲が刺さっているかのようで、人の世はきつくてきつくて仕方がない。今となっては、関係念慮という被害妄想のかなり強い私は、今現在も結果として自分を追い込んでいることになってしまっている。

病院へ行って、あーだのこーだのという、不妊治療や妊活などというものは、私にすればバカげた言葉遊びのようなものでしかない。私にとっては言葉遊びにしか聞こえないその治療というものは、自然を調べていくうちに一切使ってなどいない。普通に、一般的な夫婦としての生活をしていただけだ・・・。

今現在、妻41歳、私48歳・・・。まさに奇跡としか言いようがなのだが・・・ただただ、元気に出てきてくれれば良いとそう願っている。妻の体もその個体も危険があることは、百も承知だ。表面上しか見ない人の一般的な偏見というものは事実恐ろしい。人の感情の上書きができる時代が来るならば、それはそれで素晴らしい時代ではないだろうか。

これ以上書くと暴走状態に突入しそうなので、今日はこの辺で書くことをやめる。

この話は、継続して更新してゆこうと思っています。

その結果、無事に問題なく人になってゆくのであれば、その時は誰かのお役に立てる話になるのではないでしょうか。一例でもその事実が起きるのであれば、私ならばその可能性に懸けます。「蜘蛛の糸」が空から降りてきたかのようでもあり、「一筋の光」でもあります。

故 宮沢賢治の有名なカバンの中から出てきたといわれる、文章の最後の「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」まさにそれが私の望みだ・・・。

だから、何もできない私はこの結果を書き続ける。誰かの役に立てると信じて。

 

いつも貴重な時間をありがとうございます。