タワーに登った記念コインというのが、あった。
自分の子供の頃から、それは存在していた。
ついぞ何年か前、自分の子供もそれを作った。
そのようなモノなんか。
大人になってからの感想である。
だって体験する事こそが一番で、お土産なんて買う意味なんてよく分からない。
しかし、こんな下らない打刻されたコインにしてもただではない。
金銭を支払い、等価というよりは、打刻するマシンの管理費と材料費の大半でしかないだろう。
まぁ、そのコインと土産菓子の違いなどどうでも良いのだ。
ただ、行ってきたんですだけでは、味気のない。
どの子と一緒だったとか、やらかした男子がいただのと愛らしい声の報告するその存在が嬉しいのだろう。
バカやらかして、また先生がバスに乗って帰るだけではなくて、家まで帰ってくれよと頼んでたとか、何とか。
一緒に行かなかったのがお爺さんであれ、おばあちゃんであれ、そんな下らない報告をしてくれる声に聴き入りうなずき合うのである。
「そうかい。そうだったの」
すべてを受け入れてくれる言葉と笑顔。
ただ、元気にあなたが楽しく過ごしてこれたのが嬉しい。
それを受け止めてくれる。
それだけで、報告して茶菓子をテーブルに乗っけた甲斐がある。
大体の登ってきた塔は、そんな感じだったのだ。
電波の送受信に必要な中継点である役割なんかあっても。
この報告してる子にとっては、感心してお仕舞いの事のひとつ。
作った人や役割を果たす為の人を見てもその時だけだろう。
今日一日が無事だった。そうだったの。
塔としての役割にプラス。
報告する話のネタになってくれる事。
高くそびえてナンボ、ご苦労様です。
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