ティエラブランカのフォルクローレ日記 (Hola ! Somos Tierra Blanca)

名古屋を中心に活動するフォルクローレ(南米民族音楽)バンド”ティエラ ブランカ"の情報をお届けします

コスキン エン ハポン IN 福島 最終章! (多分)

2013-11-01 | リーダー

 

皆さん、こんばんは。 さて、昨日のアクセス数を見て100を超えていたので俄然レポートの続きを書く気になって来ました。 何とか今回で書ききりたいとは思いますがどうなることやら・・・・。

 さて、思わぬ会場の反響に気を良くし次はその足で、希望すればライブをやらせてくれる店があると事前に目黒っちが調べてを居てくれた「絹蔵」と言う店を目指しました。

 店内は「道の駅」を小さくしたような、しかしステージはバックにアンデス風の力強いイラストが描かれてをり申し分ありません。  しかしお客さんはゼロ。 地元の関係者風おじさん達に励まされつつ僕達のゆるーいコンサートが終わりました。 

 絹蔵のスタッフの皆さんお世話になりました。

そのあとまた本会場に戻り遅い夕食を頂いてステージを覗くとまだやっています。 聞けば夜中の1時まで演奏会は続くそうです。 いやはや、さすがコスキンの村の祭りだ。

川俣コスキン フェスタのポスター(横になっちゃった (笑)

長いような短いようなハードな1日を終えて隣町にある宿に着いた頃にはもう日付が変わろうとしていました。 

 宿の周りは山に囲まれて漆黒の闇につつまれています。 空を見上げれば満天の星。 こんな美しい星空は久しくみてなかったなぁ。

 あくる日はもう名古屋へ帰らねばなりません。(1泊2日の超タイトな旅なのです。) 

 今回の旅の目的はコスキン デ ハポンに初参加する事。 それにもう一つ決めていた行動がありました。  ここ川俣町はあの福島第1原発から半径50キロ位の地点にあり、国が定めた居住制限地区をギリギリ外れた町です。 でもここからトンネルをひとつ抜けて山を越した隣の村、飯館村は今もなお居住制限区域に指定されているらしい。

ならば出来るだけその村の近くまで行って、自分の目でその光景を見て帰りたいと思っていました。 居住制限区域という事は放射能の汚染度が高いということを意味します。

車を走らせ1本道を10分ほど行くと知らぬ間に飯館村に入っていました。 何の交通規制もチェックもありません。 後から調べたら昨年の7月に立ち入り規制は解かれたそうです。

しかし居住禁止状態にあることは間違いないようです。 人の気配が全くありません。 民家は沢山あるのに人や動物の姿が見当たらない。 ただ路肩のいたるところに「除染作業中」の旗と立て看板が並んでいる。

遠くに目をやると広大な荒地が広がり、いたるところにブルドーザーやダンプカー、重機が入り、分厚いマスクとヘルメットで厳重に顔を覆った作業員?らしき人達が機械の周りを行き来しています。 その近くには青い大きな袋の塊が山のように積まれている。 

 

とても異様な光景が目の前に広がっている。 これが除染作業と言うやつかぁ。 ただその空き地の広大なこと。 恐らく以前ここは広大な農地であったことが推測できます。 

僕らは車の外に出て少し歩いてみることにしました。 外に出ると空はどこまでも青く、空気は澄み渡り、山々は雄々しくそびえ、風は爽やかに吹き抜けます。

なんて風光明媚ないい処なんだろう。 まさに日本の美しい原風景が広がっている。

だけど今ここには人は住むことが出来ず、いつ住めるかも定かでなく、僕たちの耳に聞こえるのはブルドーザーが汚染された土の表面を削り取ると言う途方もない、気が遠くなる様な地道な作業を繰り返している機械音だけ。

 何だか歩きながらおかしな気分になって来ました。 悲しいでもなく、つらいでもなく、そう何だか途方もなく虚しいのです。 2011年の宮城県へ瓦礫撤去に行った時も、去年岩手県の宮古市に演奏ボランティアに行った時にもこんな感情は湧いて来なかった。 家や道路にほとんど損傷がないだけに余計虚しさが増して来ます。

さて、やはり今回も終われません。最終章は再々終章へとまいります。 ごめんなさい。

 では、近いうちに・・・・。

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