いつだって!宮城梓さん応援ブログ 

沖縄の情景のように真っ直ぐな歌声と見事な三線を届ける唄者・宮城梓さんを応援します。

今朝の琉球新報から(ある貴重な「文化財」のお話)

2010-09-07 19:56:26 | Weblog
6月のティンクブログの質問シリーズの回答によると、

まやちゃんのおじいちゃんは京阪電車の車掌さんだったそうです。

そんなことを思い出しつつ、下記の琉球新報を読んだ次第です。



幻の路面電車:レール発見 民家の梁に利用後、庭に

 戦前、那覇市首里(首里城近く)から崇元寺、泊高橋、若狭、久米を経由し通堂町までを結んだ沖縄電気軌道(路面電車)のレールがこのほど、那覇市松川の民家庭先で確認された。1914年から約20年しか走らなかった路面電車の存在はあまり知られておらず、鉄道に詳しいエッセイストのゆたかはじめさん=那覇市=によると、この電車の名残は、同市松川の沖縄都ホテルの敷地内に高架線の柱の土台が残っているだけ。車社会の沖縄にかつて路面電車が走っていたことを示す貴重な“文化財”だ。

 レールは岸本健二さん(67)の家の庭先にあり、約5・5メートル。さびた状態で横たわっている。健二さんの弟・一義さん(62)は「戦前かやぶき屋根だった実家で、このレールがひさしを支える梁(はり)のようにして使われていた」と証言。一義さんの父親が当時家の材料にするためレールをもらってきたのではないかと推測する。

 戦後家を建て替えた時に庭先に放置された。松川字誌を編集する過程で、編集委員長の豊村良功さん(71)や松川区松川向上会の冨山嘉昌会長(62)らが見つけ、地域の歴史として記録することになった。

 ゆたかさんは(1)路面電車が通っていた場所に近い(2)軽便鉄道の路線からは遠い(3)軽便鉄道ならもっとレールは軽くて小さいはずだが、このレールはがっしりしていて大きい-などの理由を挙げ「路面電車は本土の電車規格をそのまま導入して造られたので、軽便鉄道よりレールのサイズが大きい」と指摘した。

 ゆたかさんと共に確認した元県立図書館長で鉄道に詳しい金城功さん(77)は「レールにまつわる話や形状を見ても間違いないのでは。まさかレールが見つかるとは夢にも思っていなかった」と驚いた様子。

 冨山会長は「字誌がなければ日の目を見ることもなく埋もれていたかもしれない。レールと分かってうれしい。資料館などしかるべき所で保存してもらえれば」と期待した。(知花亜美)

<用語>沖縄電気軌道

 軽便鉄道が開通する7カ月前の1914年5月1日に、首里-大門前(現在の東町)間、全長5・7キロが開通。木造電車10両、片道32分で運行。17年9月に大門前-通堂間、1・2キロが延長された。路線バス運行が始まったため乗客が減り、収益が悪化。33年3月、約20年で運行停止となった。

(琉球新報)

2010年9月7日