子供達は毎年、梅ジュース作りを楽しみにしています。
今日は私も主人も特に予定が無い。
長男が寮に入って、1週間くらい経った。毎日ラインしてお互い連絡を取り合う。これくらいの距離感がいいのかも。
・・・とラインをぼぉーっと見ていたら、主人から・・・ライン
「タクシーとぶつかったから帰り遅くなる」
( ゚Д゚)ハァ?((・・?
そこから連絡が無い。思わず会社に電話したら、知らないという。
「なんで知らないんですか?」どうなってるんだこの会社は!くらいの勢いでかけてしまった。主人はそのまま救急車に乗せられたため、会社に連絡できてなかったらしく、主人はそのあと電話出た人に謝ったらしい。
主人は会社の自転車に乗っていて、タクシーは信号無視で直進。前方不注意でぶつかり、慌てたのかそこでアクセルをふかして、もうダメかもと思ったらしい。主人の受け身だ良かったのと、自転車が全て犠牲になってくれたようで、軽傷で済んだ。10メートル引きずられたらしい((+_+))
100パーセントタクシーダライバーが悪いのだが・・・運転手の年齢86歳💦💦💦
警察からは、処罰をあなた(主人)がのぞんでもいいですし、私達(警察)に任せてもらってもどちらでもいいです。と言われたようで、86歳まで頑張ってやってきてて、ここで職を失くすのも可哀そう。しかし主人だったからこれだけの怪我で済んだわけで子供や高齢者だと大変なことになっていたし、これでまた業務戻ったら死亡事故につながることがあるかもしれないくらい、ヨボヨボのおじいちゃん。主人はそれを伝えた上で、警察に任せる事を選んだ。
とまぁ精神的にまた参ってしまいそうになったけれど、とりあえず普通に生活しています。しかし、これだけでは終わらなかった・・・。私の疲労が増す事態に(苦笑)
主人が事故した次の日、長男からラインが。
『熱出た』
まじか!!!寮から帰らないといけない。38度。お迎えに行き、病院で感染症じゃないかどうか診察を受けるよう言われる。しかしこの日は木曜日。しかも家に着くのは夕方。そして発熱外来は家族の行きつけの病院は全て予約制になってしまっていた。
・・・帰宅してから夜寝る前もう一度測る・解熱してる。本人も元気だし、知恵熱か???とか思いながら、次の日病院へ。先生に事情を話し解熱はしたものの、寮生活なんで・・・というと、先生すぐ検査してくれた。
なんと・・・
インフルBとコロナの併発!!!そんなことあるんだ…。長男は二つのウィルスがケンカして殺しあって軽い症状なんじゃない?とか言えるくらい、いたって普通。
・・・しかしよくよく考えると…私が1週間喉が痛くて微熱の時もあり、何年ぶりかに発熱して色々疲れがたまっていたかなと、思ってほっといた中、長男と1日だけ会う日があったのだが…もしかして私が感染症に感染していたかも!!!と。そうすると色々ツジツマが合うわけで・・・。申し訳ない・・・。。
その一日だけ会ったというその日は結構前からチケットを購入していた、↓コレ↓
私がヤーレンズが好き。子供達はどぶろっくが好き(笑)主人はお笑い全般好き、強いて言えばサルゴリラが好き(これには出ていない)。
これに行くために太郎と市川で合流。次男も部活練習試合があり、行けないかと思ったらなんと、偶然市川で練習試合。5人全員で観ることができたのだが…。
いやーお祓いに行った方がいいのかなぁと、ママ友に言うと、「いや、お母さんが守ってくれて、これで済んでるのかもよ。パワースポットとかならいいんじゃない?」と。ナルヘソ✨
とまぁ、3月から4月にかけて、心身共に疲れた・・・というか、頑張ったなぁ。
そしてですね…長男無事寮に戻り、学校生活を送っているようなんですが・・・あんなに?、どんだけ?長男を叱ってきたか、怒ってきたか、凄い毎日だったのだが、居ないと居ないで寂しいという事に気づいてしまった自分がいる。毎日のようにラインして、写メとか送ってもらったりして、いやー会いたくなってしまった。
こないだ感染して1週間近く帰ってきた長男は、やはり長男で、精神年齢高かったんだと痛感。下2人の幼稚さが目に付いて目について・・・。なんか部屋にいそうな感じがするのに、いないって思うとウルウル( ;∀;)していまうのだ。
がんばれ私!もうすぐゴールデンウィーク!長男帰ってくるぞ!生ものたーんと食べさせてあげよう!
バタバタと月終えて、今日から4月!さぁ新生活!・・・と思ってたいら、長男が
「今から稚内行ってくる。」
( ゚Д゚)ハァ?
今からコンビニ行ってくる みたいなノリで言うな!!
お葬式とかあったし、もう行かないと思っていたら、どうしても暖かくなる前の冬とはいかないが、春になる前の稚内に行きたいらしく、長袖長ズボンも無いから、ワークマンで上着購入して、準備はしていたが、まさか行くとわ💦
4月から高校生とはいうものの、未成年は1人で宿泊できないので、どうするのかと思っていたら、日をまたぐ時は夜行バスに乗っている状態にしてクリアするらしい。
「行ってくるね」
「いってらっしゃい」
普通に本屋さんにいくみたいに出かけて行った。
ライン♪ライン♪と長男からラインが絶えない(笑)
【長男ライン】4時間後にははるか1000㎞彼方の北の大地だべ
【長男ライン】只今福島県白河市
【長男ライン】現在位置
【長男ライン】宗谷に乗車。ここから約5時間半の長い旅路
札幌に着くまでに、いつもなら喋っていることをそのままラインしてくるような勢いでスマホが鳴る。よっぽど嬉しいのだろう。殆ど喜怒哀楽の少ない長男だけに、ラインから伝わる。
相当楽しいんだろうな。行かせて良かった。
・・・と思ってる間にもライン♪ライン♪鳴り響く
オォ撮ってもらってる♪
まだまだラインが続くが割愛します。
←1枚目
←2枚目と3枚目
そして、
「新幹線乗ったどー」 という事で東京へ向かう新幹線に乗った💨正直、ホッとした。
長男は一人旅に行くと、必ずと言っていいほど、釜めしを食べる。陶器の釜が、うちに何個もある。そしてこのリンゴゼリーだが、長男はこの缶ジュースを見かけたら必ず購入。飲むゼリーがあったらしく、これまた興奮(笑)
7時過ぎに到着。彼にしては沢山のお土産を買って来てくれた。まぁお金は私のヘソクリだけど…。買ってきたものが、シャケとば・ホタテの干したもの・トド肉の缶詰・ラーメン・北海道サイコロキャラメル
・・・( 一一)こいつ、酒飲みになるな・・・
とーっても楽しかったようだ。今回の旅は、私からの卒業&合格祝い。私も行くつもりだったが、私は春GWか夏休みのつもりだった。寒い時に寒いところ行きたくないもん。まぁ・・・良かった良かった💨
3月23日母が亡くなりました。今回のブログだけ、今の心境をつづります。
癌が発覚して、2年。急変したのは今年に入ってから。去年の秋から痛みが出てきて、横になる事が多くなった母。私が母の家事の代わりになれるよう帰省しても、母は私に会えてうれしいのと、離れて暮らす私にユックリさせたい一心で、動いてしまう。そんな母。
叔母から聞いた話、母はラーメン屋に生まれた長女で忙しい母の両親は母を親戚に預け、殆ど一緒に暮らしたことがない。その分、私と弟は沢山の愛情が注ぎ込まれていた。私たちへの愛はすごかったという。言われてみれば・・・と思う。私は結婚するまでカギを持つことなかった。必ず母が家にいた。何不自由なかった。全て母がやってくれていた。それが当たり前かのように。
母が亡くなって色々知った事もあり、こういう機会がなければ、話さない事もあり、こういう時間・・・は・・・いろんな意味で大切な時間だと思う事に。
私は実家から離れて生活していて、弟たちが両親の近くにいて、この度も弟が全てやってくれている。今年長男の受験が終わってから、頻繁に帰省するようになったが、母の様態は急変していく。オムツを換えるのだが、その時の母の身体が、あっという間に母の身体は細くなってしまった。というか、骨と皮に。脳におそらく癌が転移してしまったようで、殆ど喋る事ができない。そんな母を自宅で父は介護し続けました。
最終的には水分の点滴=延命治療
母は昔から延命治療はいらない。と言っていた。いざそういう状況になった時、本人の気持ちは。そして長年連れ添った父の気持ちは。そして娘である私の気持ち。
母は喋れなくても耳はしっかり聞こえていた。点滴を打ち始めたら一時良くなった!それを見て父は延命をし続ける事を決めた。しかしそれは私が帰省した日のみだった。母をまた、頑張らせてしまったかなと思ってしまった。
娘の私としては、延命治療をすべきか否か決断できない。父は少しでも味のあるものをと、口から味の着いたものを飲ませる。それが弱った気管に入り苦しんで亡くなってしまったら、母も父も苦しむことになる。
結局往診にきてくれたお医者さんが、父に判断させるのは酷だと、私(医者)が判断しましょうかと言ってくれたので、父はそれで願いします。と。
その6日後、母は、上がるはずの無い手を上げ、父を呼び、声が出なかったはずの声を出して、息を引き取った。そして、その時間に私は自分の家で、手をケガした。たまたま、偶然なのだが。その時にケガしたという事が心に刻まれる。
母はドライアイスのせいもあり、とても冷たかった。何も食べていないから顔はいつもの母の顔ではなかった。火葬する間際、思わず母に「暖かくなるからね」と。母に怖い思いをさせたくないという気持ちもあった。「大丈夫だから」と最後に声をかけたような。母が焼かれる不安と、そして残された私達に対しての ダイジョウブ と一言声をかけた。
亡くなったと口では言えるものの、心がそう思っていない。実感がない。
母から電話がかかってくるような気がする。新幹線で帰省したら、改札口で手を振って待つ母がいそうだ。実家に着いたら台所に立って、色々出してくれそうだ。ひといき入れたら、洗濯物を取り入れる母がいそうだ。そして私の子供(母にとっては孫)とトランプやダイアモンドゲームをする母がいそうだ。
夜は最後まで起きて私が寒くないかと布団を首元までかけなおしてくれる母がいそうだ。いつも笑顔だった。
今回の母の死が、私が母になり、子供達を毎日毎日叱っていて・・・そんな思い出しか無いのは子供も可哀そうだし、私もそういうイメージで終わりたくないなと思うようになった。なるたけ、怒鳴る前に深呼吸おけるよう努力しよう。そして、健康でいるために、検診には行き続け、何か違和感や異常があれば、診察を受けるべきだという事も教えてくれた。
通夜と葬式が終わり、子供達も疲れたのだろう。次男はどうしてもはずせない用があり、先に帰ったが、用事終えたら、発熱。疲れからの発熱は初めてだった。何も口には出さないけど・・・主人も疲れたと思う。 母も含めみんなお疲れ様でした。