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骨髄ドナー体験記 入院編

2019-07-27 13:43:00 | インポート

最終同意から1週間後、ついに入院となりました。
場所は馬出の大学病院。


俺の家からは電車と徒歩で30分程度の場所です。

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※ネットから


交通費は、全額出ます。


入院手続きを済ませると、4人部屋に通されました。


手術は、翌日です。


入院自体が、久しぶりなので、ワクワクする部分もあったのですが、ベッドを割り当てると、あとは暇です。


だって、周りは皆さん、体調が悪くて入っているのに、俺は逆に、体調が絶好調だからドナーをやっているわけです。


はぁ、暇だ・・・と思っていたところ、女性の看護師さんが僕に声をかけてくださいました。
「もし、お暇なら、無菌ルームの見学をしてみますか?」
おぉ、ぜひぜひ。


無菌ルームという部屋について、金八先生を見てイメージがあった僕は、とても興味がわきました。


金八先生では、先生の息子さんが白血病になり、無菌室で語り合うシーンがあったからです。

 

後はセカチューというドラマでしょうか?(長澤まさみさんのやつ)


その時の無菌室は、大きなビニール袋の中にベッドがあり、その中で、マスクと白衣、帽子を付けた状態で面談をするというシーンでした。


で、僕が連れていかれた無菌室は、まず、入り口で風を体中に当てられ、その後、帽子を白衣を付けるのですが、そこまで厳重でもなく、こんなものでいいのか?と拍子抜けしました。


しかし、それは誤解でした。


入室した先には、畳2畳くらいの広さの、透明なアクリルような箱が並んでおり、その中に子供たちがいました。


3方が透明アクリルで、1方には穴がたくさん空いた金属製の壁がありました。


箱の内側には電話機の受話器が取り付けられており、外側にも受話器がありました。


「この中が、本当の無菌室です。穴が開いている壁から、常に風が流れていて、空気が滞留していないようになっています。


この中にいる子のほとんどは、生まれつきの白血病で、ずーっと、この箱の中で暮らしています。


お母さんに抱きしめたもらった記憶もなく、親子の会話は電話機の受話器を通して行われます。


この子たちは全員、自分に合う骨髄ドナーの方が現れるのを、待っているのです。」


・・・え、この子たち、ずっとここで過ごしているの??


こんなに狭い箱の中で、ずっと暮らしているの??


そんな風に思っていたところ、女性の方が近づいてきました。


30代前半の、とてもお綺麗な方でした。(余談ですが何故かトゥイムポが固くなりましたw)


看護師さんと挨拶をすると、看護師さんが僕を、
「こちら、こんど骨髄を提供されるドナーの方です。」


と紹介をしてくださいました。


「あ、どうも。」


と会釈をする僕。


すると、女性の方は、僕の目を見てこう言うのです。


「この度は、ドナーになっていただきありがとうございます。私の子供は、ちょうど先週、骨髄移植の手術を受けました。骨髄液が届いたとき、家族一度、本当に涙を流しながら、『命が届いた!!』と喜びました。それだけ、待ち望んでいたのです。おかげ様で、子供の手術は無事に成功し、良い方向に進んでいます。私たちは、お医者様から、ドナーの方が自分の命のリスクを冒してまで、骨髄を提供してくださっているということを、聞いているのですが、自分の子供に骨髄を提供してくれたその方には、直接お会いできない決まりになっています。でも、心からお礼が言いたいのです。あなたが提供された骨髄を受け取った患者さんの家族に代わり、私からお礼を言わせてください。本当に、ありがとうございます。」


そして、両手で握手しました。


これまで、何となく「良いことをしている」と思ってやってきたことが、ここに来て、一気に実感がわき、おぉぉ、本当に俺は、人の命を助けるのかぁ!!!
と、とても嬉しくなったのを覚えています。


俺の人生、後にも先にも、これほどまでに(お綺麗な)人から感謝されたことは、無い気がします。


心を温かくしつつ、一方で、箱の中にいる子供たちを思い出しつつ、初めて病院のベットで眠りにおちた、入院1日目でした。

 

 

入院2日目。

 


朝、起きて顔を洗って。

 

歯を磨き

 


天気が良いです。

 


絶好?の手術日よりです。


生きて帰れるといいな!


なんて思ったりしながら、手術を待ちます。


骨髄移植の手術は、腰のあたりに2本の、お箸くらいの太さの針を骨髄に刺します。(´・ᯅ・`)


一度、刺した場所からは少量の骨髄液しか取れないため、皮膚に刺した穴はそのままに、抜くことはなく、角度を変えながら骨髄に100か所以上の穴をあけながら骨髄液をとります。


シェークを飲むときとか、フタにストローを指した後、角度を変えながら飲むと思いますが、あれみたいなものです。


当然起きていたら激痛(拷問レベルw)で耐えられるわけもなく、手術は、全身麻酔で寝ている間に終わります。


ですが、この寝ている間、というのが気になりまして、どうやって寝るのか?と医師に聞いたところ、睡眠ガスを吸うと5秒で寝るそうです。


え?5秒で寝る?


絶対に起きているぞ!!と思って、強い意志を持っていても、ガスを吸ったら5秒で寝る?!
そんな、マンガ(ドラえもんのび太じゃあるまいし)の中みたいな世界があるのか!!


ハンカチで口をふさいだら寝ちゃう、みたいな!!


ここはもう、ガスと戦うしかない!


睡眠ガスを吸わされて、30秒たっても起きていて、医師から「起きていますかー?起きていたら手を上げてください―。」という意識確認をされても、ずっと手を上げて、医師から「な、なんて強靭な意思だ!こんなに起きていた患者は初めてだ!!」と言わせたい!!


だって、こちとら他の患者さんと違って、絶好調に健康な人間ですから!


と、睡眠ガスと戦うことを昨夜のうちに決心していた俺は、キリリ( `ー´)ノとした顔で看護師さんが来るのを待ちました。


午前10時頃、看護師さんが来て、僕俺ベッドから、手術室に移動するための移動台の上に移しました。(担架だっけ?ストレッチャーだっけ?)


あの、よく医療系ドラマで「急患です!」ってやっているような、ガラガラと移動するやつです。

 

 


手術室に入ること自体、人生はじめてなので、ここから始まる初体験&睡眠ガスとの勝負に、僕はドキドキしました。


手術室に行く前に、看護師さんから導入剤と呼ばれる注射を打たれました。


なんでも、睡眠ガスを効きやすくするための、注射だそうです。


看護師「注射のあとは、ちょっとボーっとしますからねー。」

 

俺「( 𖥕‪᎑𖥕 )ギンギン」

 


左腕の筋肉に注射を打たれ、ものすごく痛かったです。
・・・・・・・・


目が覚めたら、夕日が沈む窓際のベッドの上で、寝てました。


あれ?


手術室は?


睡眠ガスは???


手術室への移動は?ガラガラは??


時刻は夕方16時。


そうです。


俺は、導入剤を打たれたあと、速攻、寝落ちてしまい、寝ている間に手術室へ運ばれ、寝ている状態で睡眠ガスを吸い、寝ている状態で手術が終わって、病室に帰ってきていたのです・・・・。



こうして、俺の骨髄移植の手術は、記憶がないまま終わりました。

 


骨髄ドナー体験記 当選から検査編

2019-07-27 12:39:00 | インポート

俺が骨髄バンクに登録したのは、3年前のときでした。

 

献血は16歳のころからしていたので、骨髄バンクのドナー登録自体はその頃から知っており、いつかドナー登録をしようと思っていました。

 

ドナー登録をしてから3年ほど、登録したことをすっかり忘れて過ごしていたところ、ある日、俺に電話がかかってきました。
(確か、郵送じゃなくて電話だったと記憶しています。)

 

「もしもし?俺さんですか?日本骨髄バンクの者ですが。ご登録いただいている滝沢様の骨髄と合致された方がいらっしゃいますので、一度、ご説明のためお会いできないでしょうか?」

 

おぉ、本当にヒットするんだ!と思ったのと、これは人の役にたつね!と単純な思いで、二つ返事でOKをしました。

 

それから2週間後、大学病院で日本骨髄バンクの女性のコーディネーターの方と、お会いして、3時間にわたり説明を受けました。

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1:患者さん側は最大5名まで同時進行でドナーをキープ?できること。


2:骨髄移植にはリスクがあり、過去に死亡例があること。


3:死亡しなくても、障害が残った例があること。


4:全身麻酔で手術をするが、手術をした後は痛みが数日残り、腰に傷が数年間残ること。(今はきれいにありません。)


5:入院は、早ければ2泊3日、長いと1週間程度になること。


6:手術の直前まで、キャンセルを言うことは出来るが、最終同意という弁護士の前でサインをした後は、キャンセルはしてほしくない事。


7:手術する相手は誰かは、絶対にわからないこと。

 

だいたい、こんな内容です。

 

その中でも、特に、「リスクがあることを承知の上でお願いします!」という説明に重点が置かれていました。

 

死亡や障害が出る確率は低いものの、この時点で進めるかどうかの意思決定において重要であるからだと思います。

 

確かに、この時点で「まったく知らない他人のために、命はかけられない!」という人も多いと思うので、必要なことなのでしょう。

 

俺はその時も二つ返事で、もちろんOKですー、問題ないですー、と答えて、次にコマを進めました。

 

この時、気軽に返事をしたことが、まさか後になってこんなことになるとは・・・

 

最初の面談から約1か月後、また大学病院に呼ばれました。

 

次は、約1日をかけての精密な検査です。

 

問診票をもって、言われた通りにいろいろな科の検査を受けていきました。

 

何科で何の検査をしたのか、ほとんど覚えていないのですが、とにかく注射の数が多かった。


注射は10回くらい、グサグサと(えげつない効果音)刺された気がします。


血を抜かれたり、何かを入れたり・・・・。

 

骨髄移植において、重要なのはDNAレベルでの適合性らしく、今回は僕のDNA検査をするそうです。

 

これだけ注射をされても、「滝沢さん以外にも、最大4人まで同時キープされているかもしれないし、俺さんだけかもしれないし、それはわからないようになっています。」とのこと。

 

 

これだけ時間を使ったので、いっそ、僕に当たらないかなー、と、当選を祈っていました。

 

 

精密検査が終わった後は、医師から再度、骨髄移植をするリスクについて説明を受けました。
これまた2時間程度?の、死ぬリスクや障害者になるリスクについてです。

 

 

これらのリスクは、骨髄液を腰から取るその手術のせいというよりも、全身麻酔をかけたときに、麻酔と相性が悪いと、危ない状態になるそうです。

 

 

この時点で、なんかもう、「死んでいいのね?最悪、死んでも文句いわないね??」っていう念押しが強すぎて、結構な確率で僕、死ぬんじゃね?って、少しビビったのを覚えています。

 

 

でも、いつも極論的に「交通事故の確率よりは低い」という考えをする派なので、今回も、OKですー了解ですー死んでも文句をいいませんーー、と、二つ返事をしました。

 

 

ただ、俺はこの時、この先に待っている出来事を、まったく予想できていなかったのです

精密検査のあと、もう一度、大学病院に呼ばれます。(3度目)


今回は、嫁も一緒です。


今回は、最終同意、という重大な儀式のための、訪問となりました。


この時点で、俺は最終候補者となり、いたのかどうかは定かではないのですが、他の4人のライバル?に勝ち、無事にドナーの権利を得たことになります。


最終同意、というのは、嫁と弁護士が立ち会っているもと、医師から再度、手術のリスクについて説明を受けて、サインをする儀式です。
簡単に要約しますと、
1:(死亡や障害が残る)リスクについて、ドナー(僕)の意思を尊重してちゃんと医師が説明をしているか、弁護士が確認をする。


2:ドナーには手術の直前まで、キャンセルを言う権利があることをちゃんと、弁護士の前で説明をする。


3:だがしかし!今日、このサインをした後は、患者さんは体内の白血球を全て殺してしまうため、今日以降、キャンセルを言い出すと患者さんは死んでしまう。


4:だから、今日、腹をくくってサインしてね♪
っというものです。


ここでまた、2時間近くに渡り、医師からリスクの説明をされます。(3度目)


俺は何回も聞いているので、ハイーハイーハイーしか言わないのですが、初めて聞いた嫁は、やはり、リスクの大きさについては実感をしたようです。


弁護士の先生立会いの下、俺は無理強いされていませんよ!自らの意思でサインするんですよ!とPRしながら、書面にサインをしました。


これで、最終同意、完了です。

 

もう後には戻れません。


この後、俺が逃げ出したり、俺が重い病気になってしまったりすると、患者さんが亡くなってしまうかもしれないので、健康管理には気を付けなくては!と思いました。


帰り道、俺が嫁に、「僕が死ぬリスクが0.01%未満、患者さんが生きてくれる可能性が50%以上あるなら、ぜひやるべきだよねー。」と軽く話していたら、嫁が「とはいえ、私としては自分の旦那には死んでほしくないので、大賛成!という気持ちではない。でも、それをやるという、潔の意思は尊重したい。」と言われたのが、とても印象的でした。

 

入院編へ続く

 


娘が生まれた時のことを話そう

2019-07-20 01:25:00 | インポート

今から3年前

 

娘が生まれた時のことを書いてみます。

 

18時 内診 ダイラパン不要


8時20分 内診

『メトロイリンテル』という風船を子宮に挿入

蒸留水300ml注入


8時30分 陣痛室移動

 

ノンストレステスト装着


8時40分 あれ?陣痛かな?

 

助産師さんいわく

 

4分弱く、8分強い


9時 陣痛後押しするため

 

オキシトシン(アトニン)12ml/h開始

 

2、3分の陣痛まで12mlずつ

 

30分ごとに上げていく


12時30分 子宮口6cm

 

バルーンが抜けているため抜去

 

12時50分

 

分娩室へ移動

 

オキシトシン42ml/h

 

嫁がいきみたくなり?

 

オイラがテニスボールを使って嫁の

肛門(アヌス?)を押すを繰り返す


13時 子宮口確認のため仰向け全開。

 

砕石位

まだ、いきんだらダメと言われ

 

オイラは嫁の肛門をテニスボールで押す




頑張って頑張ってうーん!!!

 

嫁の悲鳴のような大きな声が分娩室内に響く。

 

車のエンジンサウンドより迫力あった記憶


嫁が破水して嫁の羊水ががパッンと医療従事者の方にかかるのを

 

冷静に見ているオイラ


13時35分 無事に女の子が産まれました

オギャー!オギャー!

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あれから3年すくすく育ってます

 

今回はここまで