まだまだ秋を楽しむには時間がかかりそうな今日この頃です。猛暑や台風でしっちゃかめっちゃかな夏でした。もう懲り懲りですね。
今回のテーマは、
昭和の赤電話。
携帯電話のなかった昔、街角のあちこちに赤電話がありました。緑電話の公衆電話ボックスが設置されるより前のことです。
このイラストは昭和40年代末から昭和50年代初頭くらいの感じで、当時はまだ公衆電話ボックスがありませんでした。こういう赤電話が、喫茶店のカウンターや、学生寮の玄関などに置かれていました。
赤電話は、10円玉を投入すると、料金が切れるまでの間、通話が可能な仕組みでした。同じ地域なら10円で要件のみが話せて、遠い地域だと、あらかじめ100円分くらい、10円玉を投入していたものです。料金が余れば、下の返金口にガチャンと落ちてきました。
学生寮などでは電話がこれしかないので、家族や恋人と長電話するツワモノもいました。プライベートがあまりない時代でしたね。
私はこの頃、小学生でしたが、右のコと似たような恰好をしていました。親の手編みの帽子とマフラーを愛用していたものです。こういうカラフルな手編みのニットポーチを持ってるコもたくさんいました。
ニットのチョッキの胸元にはテントウムシやお花の刺繍がしてあったり。
当時は化繊の安いニットの質が粗悪で、静電気が酷いし、温かくもなかったです。毛玉もすぐにできました。
今は100均でもいい品物が手に入りますよね。便利になりました。