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まだまだ余震の続く日々で気持ちも休まらない
そんな中土曜日にようやく連絡が取れた仙台の友人。
LAに行っていた間、そして帰国時に体調を崩しすっかり寝込んだ私、その何日かの間にだいぶ復興したのだな~
名前を言った後、ちょっとの間お互い無言になってしまいました。
元気そうだった、とにかくうれしかった
住まいは太白区、でも仕事で若林区に住んでいたとのこと・・
東京に住んでる私でも若林区と聞いて大変な被害にあったところであることはすぐに分かりました。太白区のご自宅も中は大変な状態らしくまだ、1度しか戻っていないとのことです。今いる若林区は幸いにも海岸沿いからは離れている為ゆれだけで津波の影響はそれほど無かったようだけど、窓から見える景色がうそのようで、想像もつかない体験を一瞬でして、しかも3日前ぐらいまで水が出なかったし物資も無く、つらい毎日を送っていたようです。
電話の中で友人が、<悲しい涙もいっぱい流した、嬉しい涙も・・> このフレーズが走馬灯のように繰り返し繰り返しひびいていました
友人もなんかこう、思いを吐き出したかんじで鉄砲玉のようにしゃべっていて、ただただうなずきながら聞いているのがやっとでした。
不自由な生活の助けになればと・・・欲しいものは?何が食べたい?って聞いたら「パンが食べたい」と言うので、彼女の好きそうなものなどを詰めて送ることに・・・
何種類かのパンを、トマト、アスパラ他野菜を見繕い、甘いお菓子、チーズ、テトラパックの牛乳、ジュース、ハム、などなど箱に入る限り詰め宅急便で送りました
東京でも物資がスーパーから消える現象で驚いてしまいますが、東北地方の方々の支援物資はまだまだ行き届いていないようです、本当にそれが現実のようです。
スーパーは長蛇の列で買えないとのこと
今日、何週間ぶりで納豆を見つけました。棚には5個あったので友人の分と我が家に2個かごに入れたらレジで一家族一個でお願いします・・と言われ・・茨城辺りの納豆工場も非難していたりで稼働できない状態なんでしょうね・・・
今出来る事は、買いだめしない事と、節電、募金です
いち早く復興し元気な町になるようにと願うばかりです。
私も元気な日記を書き、前向きに!そして、ちっちゃな努力を日々日々続けていこうと
改めて思いました