横浜港を出て2日でソビエトのナホトカに到着です。今はウラジオストック港が使われることが多いようですが、その当時、ウラジオストックは軍港で外国人は立ち入りできませんでした。また、当時は駅や空港、港などは写真撮影は禁止されていました。更に、ソビエト国内の移動とホテルはソビエト側が予め決定していて、勝手に変更することは出来ませんでした。
ナホトカで入国検査をした時に、両替したルーブルの金額の証明書を出国時にも必要だと言われました。入国時に両替したルーブル、買い物で使ったルーブル、出国時に残ったルーブルの収支が合わないと、闇ドル交換と見なされることがあるためです。その当時、ソビエトではドルを欲しがる人が多く、闇でドルとルーブルを交換するとかなり高いレートで交換できるとのことでした。但し、かなりの危険が伴ったことは確かでした。
いよいよ、ナホトカからソビエト国内の移動が始まります。ナホトカからはシベリア鉄道で出発です。
極東のシベリア鉄道の始点、ナホトカ
ナホトカからのシベリア鉄道で極東の中心都市ハバロフスクへ向かいます。途中は森と沼が延々と続くタイガです。時々、駅らしきところで地元のおばさんがバケツに入った小さなリンゴを売りに来ました。日本のリンゴと比べるととても小さかったです。
シベリア鉄道では、車掌さんがジャムが入っているロシアンティーを運んできてくれたことと大きな洋式便器が記憶に残っています。大きな便器の便座は木製だった思いますが、それが私の様な日本人には大きくて便座からお尻が便器の中に落ちそうになりました。
ハバロフスクで1泊して、モスクワに国内線の飛行機で向かいました。交通運賃はシベリア鉄道の方が安いのですが、確か2週間ぐらいかかりました。その間の客車内での食事代金を勘案すると、ソビエト国内線の飛行機利用の方が結果的には安くなりました。しかし、飛行機(多分、イリューシン)は旅客用とは思えないような代物で、椅子を取り外すと軍用機に転用できるような航空機でした。乗っていて少し不安になりましたが、無事モスクワに到着しました。この時初めて時差というものを実感しました。
モスクワではウクライナホテルという高級ホテルが宿として指定されていました。ホテルは旅行者が選ぶことは出来ません。ウクライナホテルはスターリンが建てた高層ビルの一つだそうで、今も4★ホテルとして使われているそうです。
その当時、高級ホテルのウクライナホテルでもシャワーからお湯が出ませんでした。外観は圧倒されましたが、設備は十分のものではなかったと記憶しています。
外観には圧倒されたウクライナホテル
ウクライナホテル客室からのモスクワ夜景
このウクライナホテルは名前のごとくウクライナ方面に鉄道で行くのには便利な立地でした。モスクワの続きはまた明日にでもしましょう。