
以前、青春時代のシルクロード旅行の写真の一部をアップしましたが、行方不明のネガが沢山ありました。最近、書棚などを整理していましたら、それらのネガが見つかり、早速にデジタル化してみることにしました。
そこで冬の夜長を、40年ほど前の旅の写真を眺めながら、自分自身の記憶を少しずつ甦らせて楽しみたいと思います。これから暫らくは、少しずつ写真をアップしていきたいと思いますので興味のある方は、時々覗いて下さい。
なぜ? シルクロードに興味を持ったかは、そのうちに話すとして、まずは出発の日です。1973年7月28日、横浜港を出発しました。40年前の私は21歳の大学4年生でした。未だ、海外に行く人はほとんど無く、大学生でも海外に行ったのは数パーセント程度の時代でした。
航空運賃が非常に高く、ヨーロッパに行く学生が選ぶルートは横浜からソビエト船でナホトカ向かい、更にシベリア鉄道でモスクワ経由で北欧に入るのが定番のルートの一つでした。私の目的はシルクロードですが、調べてみるとこのソビエト経由で行くルートが一番安いと分かりました。
乗ったソビエト船はジェルジンスキ号で、横浜港の大桟橋から映画で見たようなテープを投げての出発でした。
こちらは、今の横浜港(山下公園から大桟橋方面の夜景)
横浜港を出発して太平洋を津軽海峡を目指して北上しました。現在の豪華大型客船と比べるとチッポケな船でしたが、船の中では色々と楽しみが用意されていました。
デッキではゲームをしたり、プールで泳いだり、ビキニ姿で日光浴する外国女性もいました。
ホールでは女性(多分、船員がダンサー兼ねていたと思う)が踊りを披露してくれました。
皆でフォークダンス、昔良く流行ったやつですね。
なかなか見事な踊りです。
太平洋を北上して津軽海峡に向かいます。津軽海峡ではイカ釣り漁船のかがり火が沢山見えました。
船中の夕食はその当時の私には大変豪華に感じました。一番驚いたのは、デザートで色々な種類のチーズが出てきて、更に食べ放題であることでした。 チーズなどは石鹸の様なプロセスチーズしか食べたことしかない私には大変な驚きでした。
横浜からソビエト経由で黒海のオデッサ、更にエーゲ海を経てギリシャのピレウス港までの約一週間の交通費とホテル代は約10万円でした。この代金を予めインツーリストというソビエトの国営旅行会社に支払ってビザをもらうことが出来ました。
また、当時は中東・アジアを旅行するためには、横浜税関から予防注射をすることが義務付けられており、そのために3か月ぐらい前から予防注射を2.3回受けて初めてイエローカードとい黄色い証明書をもらわないと出国できませんでした。大変めんどくさい時代でした。
インツーリストへの支払伝票