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バルサルバ洞動脈瘤の手術・紫斑性腎炎

これから、バルサルバ洞動脈瘤の手術をする方のお役にたてばと思いブログを立ち上げました。家内が甲状腺癌にかかり今闘病中

私の父。

2013-08-22 22:54:27 | 日記
私は、北海道の砂川市という小さな街で生まれました。
2月生まれですので、一年で一番寒い季節に生まれたわけです。
それで、暑さに弱い?

母は、私が5歳の頃から入退院の繰り返しで寝たきりでした。
当然一人っ子です。
私の記憶の中の母は、いつもベッドで寝ていました。
歩いている母の記憶はありません。
脊髄カリエス。っと、聞いております。

私の父は、母の入院中、洗濯物を持って帰ってきて夜遅くに洗濯をしていました。
当時、洗濯機などなく、手洗いです。
冬の寒い夜に、冷たい水で洗濯をしている父の記憶があります。

父の人生ってなんだったんだろう?っと、考える事があります。
戦争に行き。帰ってきて母と結婚し私が生まれた。
母がずーっと入院していて、とうとう入院費が払えなくなり、家は多大な借金が残り、私が中3の時に離婚をしました。
「離婚をしたら、母は、入院費の心配がなくなる、生きていける」父はそう言いました。

そして、札幌へ引っ越し新しい生活をはじめました。
父の再婚。
私が高1の時に再婚しました。
やっと、父も幸せになれる、っと思っていた矢先、心臓病で亡くなりました。享年43歳です。
今の私よりも遥かに若い年齢です。
口癖は、「お前が高校を卒業するまでは、生きていてやる」っと言っていたのでですが、約束を守らず亡くなりました。
きっと、やりたいこと一杯あったと思います。
母の面倒をみて、やっと、再婚してこれから幸せになれるはずだったのに。

しかし、親不孝な私は、再婚した義母ですが、一度も母とは呼びませんでした。
悲しそうな顔をしていた父を思い出します。私もまだ多感な年頃でしたから、認める事が出来なかったんでしょうね。
苦労ばかりして亡くなったと思います。

私も来年還暦です。まだまだ、元気で頑張ろうと思います。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お父さん (kiyo)
2013-08-25 06:52:24
やさしいお父さんだったんですね
今は 天国で微笑んでらっしゃるような感じがします
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kiyoさんへ (とし)
2013-08-25 16:56:41
ありがとうございます。
しかし、父が生きていたら私は熊本へはきてなかったでしょうね。運命はわかりませんね。
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思うようにはなりませんね (きりのはなな)
2013-08-26 21:33:27
親の苦労したことを思うと自分と比較して泣けてきて情けなく思いますね。
私も同じです。 育ての母を大事に思うのに傍にいて見守れない私は親不孝だと思います。人生は思うようにいかないものですね。
「偲ぶ」「思い出す」ことは何よりの親孝行だと思うのです
元気に心の中で感謝の気持ちを持って元気に過ごすことが大切ですよね。。
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きりのはななさんへ (とし)
2013-08-26 22:09:51
コメントありがとうございます。
本当に人生は思うようにいかないですね。
しかし、運命と言うレールがあるとしたら、そのレールに乗って生きているのでしょうね。
今を大切に生きていきましょう。
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