道東を発見する旅 第3の人生

初めに言があった、愛は人の徳を高める

尼崎の事件

昨日の朝、ニュースで尼崎の事件をやっていた。死体がどんどん出てくる奇怪な事件である。主犯格が回りの人間を支配していたそうだが、そんな集団だと、ボスが普段から相手を威嚇するのに、「殺してやる」とか「殺せ」とかを連呼していたのだろう。殺してやると言い続けていれば、本当に人を殺してしまい、みんないなくなってしまったのかな、と感じた。

他人に優しい言葉をかけよう

人間にとってとても大事なのはその真逆の生き方だと思う。他人に優しい言葉をかけていれば、だんだんと他人に対するふるまいが、優しくなり、言動も行動も優しい人間になっていくのだろう。

聖書の言葉より(ヨハネによる福音書1章 1から3節)

初めに言があった。言は神とともにあった。言は神であった。この言は初めに神とともにあった。万物は言によって成った。成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった。

朝礼のメッセージ

朝、そんな事を考えていたところ、昨日の朝礼では、聖書の言葉と作家の故三浦綾子氏の話が紹介されタイミングの良さにびっくりした。メッセージは、だいたい自分の考えていたような内容の話であった。

コリントの信徒への手紙 新約聖書309ページ

知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる(愛は人の徳を高める)。

愛は人の徳を高めるという、このフレーズがとても気に入った。このフレーズで検索すると、牧師さん達も色んな解釈をしておられるようだ。徳の意味を辞書で調べてみる。

人徳
その人に備わる徳 「徳のあるひと」

徳とは:Weblio辞書より引用する(http://www.weblio.jp/content/%E5%BE%B3)

(1)修養によって得た、自らを高め、他を感化する精神的能力。
「―を積む」「―を養う」

(2)精神的・道徳的にすぐれた品性・人格。
「先生の―を慕う」「―の高い人」

(3)身に備わっている能力。天性。
その他

引用終わり

感想

自分の考えていた「他人に優しい言葉をかける」という行為は、修養につながるものかもしれない。無愛想な人に対して、優しい言葉をかけ態度で示しても、「何を考えてるんだ」という態度を示されると悲しくなるものだが、それでも自分の主義を曲げないのが、信念である。

振り返れば、この何年間か、自分の信念のまま、自分の生き方を求めてきた。北海道の離島、そして今の病院でだんだんとそれが形をなしてきたように思う。自分はキリスト教の信仰者ではないが、時々神の存在を感じる時がある。

最後に、以前も引用したことがある言葉を紹介します。

「神の前で、神と共に、われわれは神なしで生きる」ボンフェッファー
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