木曜日、ボージョレー解禁日
先週の木曜、ボージョレー・ヌーボーが解禁された。
仕事を辞めてからブラブラしている家内が、解禁日だ解禁日だと騒ぎながら、2本も買ってきた。
木曜の夜と土曜の夜、家族全員でボージョレーを飲んだ。「今年のは美味しいわねえ」と言いながら息子と一緒にガンガン飲んでいた。
ガン闘病中の家内は、最近、体調がいいようで、よく食べるし、よく飲む。いつ再発するか分からないけど、今、この瞬間を楽しんで生きているようで有難いことだ。
ワインを卒業
一方、自分はもう一つ盛り上がらないままボージョレーを50ml程度飲んで、飲むのをやめてしまった。
この夏頃からだろうか、ワインを飲んでも、まったく美味しいとは思わなくなってしまった。あれだけ、ワインが好きで、それでフランスに職を探して行ったくらいなのに、まさか自分にこんな日が来るなんて、想像もしていなかった。
どうやら自分はワインを卒業して、日本酒に開眼してしまったようだ。
飲むなら、日本酒で、家で飲むなら一合までである。それ以上は酔っ払ってしまって飲めないのだ。
だから、最近は、ワインを飲んでも、「薄いなあ」、としか思わなくなってしまったのだ。
日曜の夜、1万円のメロン
絵を描いている息子が、先週から1週間、東京の表参道のギャラリーで個展をさせてもらっている。
そのギャラリーの同じ建物の一階に「千疋屋」という高級フルーツ店が入っているそうだ。
自分たちはまったく興味がないのだけど、1週間くらい前だったかテレビで「千疋屋」の特集をやっていて、それで、千疋屋のフルーツは特別だという概念が刷り込まれてしまった。
日曜の朝、息子は飛行機で東京に行き、午前中、スーパーで買い物をしている家内に電話してきて「千疋屋」でお土産を買って帰ろうと思うのだけど、何がいいと聞いたそうだ。
それで、テレビで見たときに思ったことを言ったそうだ。それが、「死ぬまでに一回だけ、すごく美味しいメロンを食べたい」だそうだ。
夜、息子は店の人に色々聞いて確認し、今夜が食べ頃、明日には味が落ちるという1個1万円もする高級メロンを買ってきた。
家内は、食べながら感激していた。息子は息子で「お母さんの死ぬまでに・・・は、今実現させてあげないといけない」と思ったと殊勝な事を言っていた。
自分は、食べる前に、ワイン同様、覚めた感じで「1万円しても、メロンはメロン」と言っていたのだが、ワインと違って、千疋屋の食べ頃の高級メロンのレベルの高さを思い知らされることになった。
先週の日曜の夜、週刊誌の記事
さかのぼって、1週間前の日曜の夜、和歌山県の白浜に住んでいる兄から電話があり、「週刊Gendaiに、自分の記事が掲載される」という事を連絡してくれた。
早速、週刊誌を買ってきて開いてみると、モノクロのグラビア特集で全7頁の長い記事だった。
「アレルギー治療の世界的権威は、なぜ村で一つの診療所へやってきたのか」、というサブタイトルがついている。
診療所の玄関に兄が白衣姿で立っている写真や往診している様子の写真、奥さんと家で乾杯している写真などが載っていて、大学卒業以来の履歴と診療所に来た経緯などが記事になっていた。
誉め称えられる人生
あの人は小さい頃から、回りに誉め称えられる事が多い人だった。小学生の時以来、ずっと「頭がいい」とまわりから誉められていた。
高3の時は、全国模試で、すごくいい成績をとり、中高一環の学校だったので、数百人くらいいた生徒全員の前で、校長から誉めてもらっていた事もある。
東大医学部に合格した時は、ホントに大騒ぎで大変だった。
それ以来、自分はいつも「あの◯◯先生の弟さん」ということで、「あなたも頭がいいんでしょう」と言われることが多かった。
そうなると、誰でも反発するのだろうけど、アホなそれを喜んで受け入れて気楽な人生をおくるようになってしまった。
だけど、やっぱり兄に反発して、自分も頑張れば良かったのかな、と時々思うこともある。
相撲部屋
東大の医学部の同窓会は、かっては相撲部屋か鉄門(東大医学部の同窓会)か、と言われたくらい、上下関係が厳しいことで有名なところである。
卒業して医者になってから厳しい競争に放り込まれるのだ。そして、さらに同窓生の間で、もっと高い地位を目指して数少ない椅子を奪い合うのだ。
もちろん、東大に入るような人には、社会的に適応障害みたいな人も結構いたりするので、ダメな人とそうでない人をふるいわけて、本当のリーダーを養成するコースが出来上がっているのだろう。
ダメだった人の場合、「あの人は、東大を出てるのに、こんな事も出来ない」とか陰口を叩かれる一方で、ある程度優秀だった人は、リタイアしてもあの人は東大を出てるから、さすがだ、と言われることになる。
私の兄の場合、一線を退いて10年近くもたつのに、その生き方を週刊誌が誉め称えてくれている。
いずれにせよ、東大を卒業すれば、死ぬまで東大の持つイメージから束縛される。
東大を卒業できるのは、死ぬときしかないと、あの養老孟司先生が何かに書いていた。
兄は和歌山に移った10年前くらい、歓迎会やテレビの取材が続いている事に対して、「もういい加減にしてほしい、ほっといてくれたらいいのに」と言っていたのを想い出す。
あれから時間が過ぎたけど、時々、マスコミの取材があるようだ。常に注目され続ける人生だと、煩わしさなどを感じることが結構あると思う。
酒、タバコ
聖人君子のように見える兄だけど、相変わらず酒とタバコは続けているようだ。
特にタバコは患者さんに辞めるよう勧めているのだと思うけど、自分は「辞められない」で終わりのようだ。
自分も若い頃、タバコを吸っていた時期がある。嫁さんとつきあうようになって、「タバコを辞めてほしい」と言われて、すんなりと辞めた。あれから40年くらい経つのだと思うけど、兄が自分が辞めた事を知って、「偉い、僕には出来ない」と言っていたことを想い出した。
毎晩、酒を飲むというのも父親譲りなのだろう。父親は毎晩酒を飲んでストレスを発散させていたようで、酒を飲んで車を運転する「飲酒運転」の常習者だった。
父親の、そんな姿が兄に受け継がれたような気がしている。
東大卒業という華麗な履歴とともに、人間的過ぎる側面として、タバコを死ぬまで吸い、酒も飲める限り飲みつづけるのだろう。
せめて、肺がんにだけはかからないで欲しいと思うけど、神様へは難しすぎる注文なのかもしれない。
LL卒業
最後に、最近の自分の様子を忘れないうちに書いておきます。
これも先週だけど、通っているフィットネスジムで体脂肪率を測定してもらった。その機械は高級なもので、全身の体脂肪率や筋肉量などを測定してくれる。
家のヘルスメーターでも体脂肪率は出るのだが、正確ではないそうだ。
前回測定したのは、10月10日であった。40日後になるのだが、その時に比べて体重が2キロ減、体脂肪率も22%から20%に減っていた。
そのせいか、体調が変化してきている。
ワインも卒業できたし、コーヒーの微妙な味わいが変わってきたのには驚いた。今まで何も感じずに飲んでいたのかと愕然としている。
動きも良くなってきた。若者のように軽いステップで階段を降りている。
うれしいのは服である。シャツや上着など上半身はLLだったのに、最近はLになり、ときにMのシャツを着ることができるようになってきた。
これでLLサイズも卒業したいし、LLサイズとはすっぱりと縁を切りたいものだ。
まわりの人に痩せたと言うと、「何となく迫力がなくなってしまってますね」と言われてしまう。確かに大きな胸とか太い腕がしぼんでしまったかのようだ。
だけど、それよりも大事なのは適正体重になることで、心臓とか血管をいかに若く保てるかが大事である。
だから、あれこれ言われるので、これからは出来るだけ筋トレをしているなんて言わないようにしよう。
だけど、筋トレは、兄の酒、タバコのように死ぬまで卒業せずに継続したいです。
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