中だるみの季節
先週はお盆であった。
自分の場合、これまでの勤務先ではお盆休みという概念がなかった。
職場では勤務体制であっても、休みを取る人が多く、また患者さんも減るので、何となくゆるい感じになってしまうのは仕方がない。
同時に、大事な会議や会合が予定されず、ただ時間が流れていくだけのような勤務なので、自分の責任が少し軽くなるような気がする。
さらに電車は休日ダイヤだし、街中でも人が少ない。自分は、この夏の暑さで中だるみしたようなお盆の時期が大好きだ。
しかし、それも今日で終わりだ。明日からは皆が忙しく働く日がやってくる。
せっせと無い頭をふり絞って勉強しよう。
社会脳
話は変わる。
誰でも「考え事をしているときにアレコレ言ってくる」のがウルサイという思うことはあるだろう。
それに関連して、社会脳という言葉があるそうで、気になって調べてみた。
目の前の人を相手にする事と考える事が頭の中で同時にできるのかという命題に対して、同時には出来ないというのが正解らしい。
では、どちらを優先するのだろうか。人間の脳のデフォルトは社会脳であるそうだ。
生後間もなく母親の呼びかけに反応する事は、その時点から自分でものを考えているわけではないというような理屈であるようだ。
具体的に書くと、人がものを考えている時、他人から声をかけられるとする。
相手に対応してしまうのがデフォルトなのだそうで、面倒くさいと思いながらも、それでも相手に対応してしまう。
だけど、自分の場合、頭の中では考え続けている。
認知症
認知症の人ではこの社会脳が壊れてしまうらしい。
脳の領域で、認知症でやられる部分と社会脳の領域が一致するそうだ。
『社会脳からみた認知症』 徴候を見抜き、重症化をくい止める、伊古田俊夫=著
より一部だけ引用
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41138
人の気持ちを理解する
人の心の痛みをわが痛みとする
自分のいたらなさを反省する
認知症を患うと、このような心の大切な働きが少しずつ失われていきます。
まわりの人たちの気持ちを理解する力が衰え、ちょっとしたことで怒り出して暴言を吐くことがあります。
極端な場合には、目の前にいる人を堂々と無視して立ち去ってしまう、直前まで語り合っていた相手を突然、無視してソッポを向いてしまうといった症状もあり、家族や親しい人に衝撃や苦しみを与えます。
認知症の人に生じる「心の変化」は、記憶の障害や知的能力の低下だけでは説明しきれません。
他人の気持ちを理解し、周囲の人とうまく生活していく「社会的な能力の低下」としてとらえなければ、十分にその原因を究明することはできないのです。
引用終わり
感想
なぜそうなっていくのかは、分からないけど、これが認知症の症状であるそうだ。
残酷な言い方だけど、これこそが神の業であるように思う。
今の自分は、ものを考えているときに声をかけられて、面倒くさいと思いながらも、それでも対応しながらも、考えているのは社会脳が機能しているという事なのだろう。
だからありがたく思うべきなのだろう。
身体の機能は「もうダメだ」と思ってしまうと、どんどん落ちていくのだろう。
数学でもジムでも、新しい事に挑戦できるという事でワクワクしながら生きていく、それがきっと大事なのだと思う。