心を高く上げよう
毎朝唄っている讃美歌集には、700くらいの曲が掲載されている。その中でも今一番、気に入っているのが、第2編の第1番である(以下、歌詞の一部を抜粋)
心を高く上げよう 主のみ越えにしたがい
ただ、主のみを見上げて 心を高く上げよう
霧のような憂いも 闇のような怖れも
みな後ろに投げ捨て 心を高く上げよう
中略
終わりの時がきたなら、裁きの座を見上げて
我が力の限りに 心を高く上げよう
引用終わり
心を高く上げるというフレーズが美しい旋律と共に心に染み入ってきれいに洗い流されるような気がする讃美歌だ。
心を高く上げよう、というフレーズ、これはメタファー(隠喩)だと思う。
おまけで最後の部分の歌詞も引用したが、いつかはやってくる死を意識させていて、曲の中で生死が完結しているようだ。
メタファーとは(Wikipediaより)
メタファー(metaphor)は、隠喩(いんゆ)、暗喩(あんゆ)ともいい、伝統的には修辞技法のひとつとされ、比喩の一種でありながら、比喩であることを明示する形式ではないものを指す。
つまり、「~のようだ」のような形式だけであからさまに比喩とわかる比喩(=simile 直喩、明喩)ではないもののことである。
中略
聖書は、メタファーと譬え話に満ちた文書の典型としてしばしば挙げられている。聖書およびイエス・キリストのたとえ話は、西洋文学におけるメタファーのありかたに多大な影響を与えている。
引用終わり
チンアップ
初めて、この讃美歌を歌った時、メジャーで活躍した松井の事を思い出した。
松井がメジャーに行って、最初のシーズンが終わった時、監督が松井の事をコメントしていた。
以下、うろ覚えであるが、「打撃が不振の時も下を向かずに、いつも前を向いていた姿に感銘を受けた」というような内容だった。
誰でも、スランプの時は、気分が落ち込み、うつむいて歩いてしまうものだ。監督は、そんな時こそ、チンアップ(顎をあげろ)と激励したそうだ。
チンアップは懸垂の事を言うが、この場合もメタファーで、顎を上げて上き元気を出そうという意味だ。
このところ、自分も、すぐ落ち込んでしまい、勤務先で廊下をうつむきながら歩いてしまったりする。色んなことが気になって気分が滅入る時、口ずさむのが、この讃美歌だ。
もう、いい年になったので、若い頃のように細かい事を気にする必要は全くないのだけど、生まれつきの性分だから仕方がない。だから、この曲を思い出して自分を元気づけるのだ。
月が綺麗ですね
ついでに、先日、知ったメタフォーについて紹介します。ご存知の方も多いかもしれません。以下、引用
(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313126873)
漱石が学校の先生をしていたとき、「I love you」を生徒が「我君ヲ愛ス」と訳したのを聞いて「月が綺麗ですね」といいなさい。それで伝わりますから…と言ったというお話ですね。
夏目漱石は江戸~明治に生きた人です。
その時代はまだ「愛」という言葉は一般的でなくて「情」の時代でありました。
「愛している」なんて直接的な言葉は一般的ではなく日本の感性に合うものではなかったため、その話の前後を捉え、日本人ならではの叙情的な文章で思いをつなげることの方をよしとしたのでしょう。
特に漱石は無粋なことが嫌いな人なので彼らしい逸話だと思います。彼の「それから」の中での名文句「淋しくつて不可ないから、又来て頂戴」にもつながりますね^^。
尚、夏目の逸話が有名ですが二葉亭四迷もまた「愛している」の代わりに「死んでもいい」と訳しました。
そう言われたらどう返しましょうか?
さらに、男性から「月が綺麗ですね」と言われた場合、どう返していいのだろうか? という女性からの質問に対してネット住民からの返しが面白いです。以下、引用
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1254733417
「きっと夜明けも綺麗ですわ・・・」
「月が傾く前に会えて良かった」
「きれいですね、百年目に咲く百合の花みたい」
「雰囲気も・・・・」
「ずっと一緒に見ていたいくらい綺麗ですね・・・」
引用終わり
七夕の夜
週末は七夕である。離島に住んでいるとき、満月の夜は、月明かりで夜道が明るいとブログに書いたことがある。
闇夜の主役は月であり、真っ暗な離島の夜は、月の存在が際立っている。
月齢を調べたら、7月7日は新月の前日で、ほとんど闇夜に近い状態だ。
皆さん、今年は恋愛を連想させてしまう「綺麗な月」の事を考えずに、美しい真っ黒な夜空に浮かぶ天の川や星の輝きのコントラストを楽しんでください。