道東を発見する旅 第3の人生

理解は2回目以降、

超音波検査

8月の初めから新しい事を勉強している。

心臓の超音波検査、という、これまでの自分には全く縁のない世界である。

初心者向けの本を2冊読み、理解が深まってきてさらに数冊購入した。

知識が増えて知らなかった循環器の世界が身近になってきてどんどん面白くなっている。

なぜ、こんな事になったのかと言うと、8月の初めに採用した若手の職員の基礎知識が不十分なのが分かったのがきっかけだ。

本来、その検査をやっている人に任せていたのだが、一定のレベルに達するのに時間がかかるので、自ら教育することにした。

自分の場合、医学全般の知識と経験は豊富なので、真剣に勉強すればわかるようになるだろうと考えた。

この1ヵ月、若者に本を読んで教えて、ともに勉強することで随分理解が進んだ。

この人の場合、もう1ヶ月もすればかなりのレベルにいくだろう。

これを受けて、来月からもこの領域を知らない職員を教育することにした。

自分は20年くらい大学で学生に講義していたのだが、相手は医学部の高学年で結構色んな知識を持っている状態の学生であり、さらに深い知識を講義する事には慣れている。

しかし、今回は、心臓の病気に対してあまり知識のない素人である。どのように教育のカリキュラムを作るか悩んでいた。

数学の雑誌

先週末の夕方、千里中央に買物に行って、帰ろうとしたらみるみる空が真っ黒になって、夕立がザーッと降ってきた。

あまりに激しい雨で、傘が無いので、雨が止むのを待とうと思い、本屋に入って雑誌のコーナーをブラブラしていた。

いつものようにボディビルなどの筋トレ系の雑誌や最近ちょっと興味があるキャンピングカーの雑誌などパラパラめくっていた。

すると、なぜかそのすぐ横に数学の雑誌が置いてある。

この店で、こんな所に、と思いながら、手に取ってパッとめくったところ、次のようなパラグラフが目に入った。

以下、その記事から、心の残った一部分を引用します。

むずかしい数学とつきあう

私たちが数学に遭う際、一度目はえてして要領を得ず、理解は2度目以降となる。

人に数学を説明すると「よく分かりました。前の先生はなぜこう説明してくれなかったのかしら?」と感謝されるが、それは当人が一度目を済ませており、私はたまたま2度目に居合わせたにすぎない。

逆手に取れば、正念場が来るのが2度目にあたるよう数学体験をプログラムするとよい。

ヒトは問いを先、答えを後の順に理解する生物であって、ふしぎと思わない問いの答えに沈潜させられると、あっぷあっぷする。

厄介なことに教科書や論文は答えが先、問いが後(か略)、の怒濤である。

流れを遡り、自問ごっこしながら自然な順を再構成するしかない。

一策は、定理の結論を隠し仮定のみを読み、結論を推測する。

あらかじめ「たぶんこうなるであろう」という推測をしない限り、定理は証明を追えてもピンとこないし、章は読み終えるや否や内容を忘れてしまう。

時枝正 スタンフォード大学 数学セミナー p8,58(9),2019

引用終わり

感想

そうなんだ、と思わず相槌をうってしまった。

理解は2回目以降、というのは至極当然だ。

ただし、数学の先生の言う2回目の対象者は、分からないので何度も何度も読みかえているような数学科の学生だ。決して2回目ではないのだろう。

いずれにせよ何事も、すごく簡単な事でもパッと見せただけで相手が理解してくれると考えないほうがいい。1回目、2回目、3回目と見せ方、説明方法を変えながら理解を助け、さらに深めていくようにしていく。

さらに、問いが先で答えが後というのも納得できる。

最近の本は付録動画がネットで閲覧できるようになっている。

何も分からない初めの段階からでも、何度も動画を見せて、心臓の各部位の動きを追いながら解剖を覚えさせると、機能から心房、心室そして弁膜の役割を把握できるようになると思う。

問いと答えの関係は、重要なキーワードをなぜ覚えるのか、そしてそれがどんな意義があるのか、という理屈を考えさせることにつながる。

ひたすら覚えることばかりだったような中学、高校でも、その理屈を納得させることが出来たら、記憶の定着率が高くなるだろう。

死んだ嫁さんは、このエッセイにあるように「答え」の羅列のような教科書は語呂合わせで覚えていたようだった。若いとそれも可能だけど、問いが先という真理を知れば、もっと簡単に覚えられていたのかもしれない。

この著者の事をネットで検索してみると、凄い人のようだ。

Wikipediaは英語版しかないのだが、日本語で書かれた説明では数か国語がペラペラで、もともと文系の人だったのが、ある人のストーリーを本で読んで、数学に目覚めて転向した人だそうだ。

結局、数学を理解するためにはどうしたらいいかという定理をエッセイに書いたのだろう。

最後に、意図的に、結論を推測させるように仮定を提示し対象者の考えを誘導するなんて、理論は分かるけどホントに出来るのだろうか、やってみよう。時間をかけて、じっくりとやってみます。

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