タダの感想文です

感動したこと、考えさせられたことについて思い立ったら書きます。

村山聖さんを追いかけて

2017-06-15 23:53:08 | 日記
昨年2016年の8月にテレビで伝記を見て以来惹かれ続けている、
村山聖さんについて、自分の思ったこと。
自分の経験とも照らし合わせてのことだが、会ったことがないわけだから、もちろん想像でしかない。

迷惑を掛けない。
とにかく、他人に迷惑を掛けることが嫌だった。自分の病気のせいで、周りの人が不幸になることは耐えられなかった。優しい人柄や、とかく人をもてなす心を持っていたのは、その現れだと思う。亡くなる数か月前には、自身の財産の整理も、弁護士の方に手伝ってもらって全てすませていたという。よほど人に対して気配りのできる人だったのだろう。

加藤昌彦さんとのケンカ。
加藤さんが、好きでしようがなかった。ストレートにそんなことを言える性格ではないことは、よく理解できる。このエピソードを聞いたときは、暴力に対して、自分の気持ちが引いてしまったが、ケンカのあと、加藤さんの名前を呼びながら泣きじゃくっていた、という話を聞くと、本当は、好きでしようがなかったのだろう。そうとしか思えない。

将棋と、周囲の人への感謝。
癌の痛みは、本当に想像もつかないくらい、壮絶なものだったと思う。自分は死ぬ、苦しい、でも将棋はぜったいに捨てない。将棋のおかげで、生きてこれたから。周りの人への心からの感謝の気持ちも、そこにはあったと思う。なにがあっても、将棋だけは捨てない。将棋で生きていくことができるようにしてくれた、周囲の人への感謝も忘れない。

天才。
羽生善治さんが七冠を取られた頃、羽生さんは将棋に集中しているとき脳波が落ち着き、得に右脳が安定している、という分析を、テレビで紹介していた。羽生さんは目で見たものとっさに覚えてしまい、それが見えなくなったあとでも正確に思い出すことができる。村山さんは、本を読むのが異常に早かったという。それは、おそらく、読んでいたのではなく、見ていたのだと思う。羽生さんと同じく、視覚による記憶力、思考力がずば抜けていて、本も字を見て追うだけで理解できたのだと思う。

昭和44年生まれ。
自分と同い年。もし生きていれば、昨日で48歳。
二十歳まで生きられると思わなかった、と言って喜んでいた人が、その九年後に亡くなってしまったのは、本当にせつない。

現在の世の中で、悲しまずにすますには、
かつて村山さんがされていたことを、自分もする以外にないだろう。
「将棋の弱い自分」にできることをすることで、村山さんを追いかけて行こうと思う。