戦争こそ回答

仏に逢うては仏を殺せ。(中略)父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。~臨済録~

海外ツアーのプランを考えた

2016-07-13 23:18:36 | 余生
俺が旅行会社だったら絶対これをやるね。


日本:東京都千代田区千代田1-1→
朝鮮:万景台・白頭山密営→
グルジア:ゴリ→
オーストリア:ブラウナウ

最強じゃん。

弁神論を勉強してから寝よう。

あのねのね

2016-07-03 20:19:58 | 余生
弾道学の本読んでるとね、だんだん「腔が「膣」に見えてくるんだ。
ライフリングのある膣内とか素敵。
数式通りの放物線を描きながら分娩される胎児。

「非モテ」の論理

2016-06-30 15:12:04 | 余生
受験勉強のため、某予備校に通っている。しかし周囲の男子は平気で女子と話しているのに、なんで俺は話せないんだ。
畜生、いつか殺してやる。(元ネタがわからない方は小林源文をお読みになって下さい)
そういうわけで、「非モテの論理」を明らかにしておきたいと思う。
私は常に「非モテ」側の人間だったので、多分に「モテ」に対する
ルサンチマンに満ちた記事になると想像するが、どうぞお許し願いたい。




【一、モテ・非モテ】


①「モテる」とはどういう状態か

ある個人が異性(同性愛者の場合は同性)から受動的な形で恋慕されている状態をいう・・・というのが私の理解であり、また辞書的理解である。
その場合、受け手が相手に対しどのような感情をいだいているかは別の話であるとされている・・・はず。


②「モテない」とはどういう状態か

ある個人が受動的な形で異性または同性に好かれない状態。
「モテない」には能動的なアプローチで恋愛対象に接近しても一顧だにされない状態も含まれる。


②「モテ」「非モテ」とは何か

概念である。


③「俺は・私はモテる」「俺は・私はモテない」という感情は何か

観念である。


④性的感情や「体の関係」と「モテ」「非モテ」の関連

異論はあるかもしれないが、やはり不可分な関係だろう。
恋愛感情も性的感情もともに生物的本能であり、恋愛対象との精神的交流があるところ必ず肉体的交流が付随するものだ。


⑤恋愛・恋愛感情とは何か

これを定義するにおいてはラ・ロシュフコーですら苦闘した。ましてや私ごときにできるわけがない。
そこでやはりラ・ロシュフコーの言を借りよう。
「恋は心においては支配の情熱、知においては共感であり、
そして肉体においては、大いにもったいをつけて愛する人を所有しようとする、隠微な欲望にほかならない。」




【二、「モテる」「モテない」と人間】


①大前提 

「モテ」「非モテ」が万民にとって幸福あるいは不幸な状態であるのか。
「非モテ」が幸福だと感じる人もいるだろうし、「モテ」が不幸だと感じる人もいるだろう。
その逆転現象も起こりうるし、数でいえばそちらが主流だろう。
もちろん、そういった問題に対し無関心である人もいるだろう。


②主流派はなぜ「非モテ」を不幸と感じるのか

上で述べたように、恋愛対象との精神的・肉体的交流は本能である。
そうした心身のコミュニケーションを行うことのできない状態を、人間は不幸と感じるのである。


③「非モテ」を不幸と感じた人間はどうなるのか

もちろん「モテ」ることで幸福へと転じたいと願うようになるだろう。


④「非モテ」が「モテ」へと転ずることは可能であるか

「モテる」「モテない」という状況がいかなる条件で生み出されるのかを考察しなければならない。
個人の先天的・後天的能力なのか、個人に対する他者の作為が関係するのか、社会的状況の反映か、
はたまた人為の介入する余地のない、「見えざる手」による
(だとすると期せずして私の「戦争勃発の条件」論と同じである。ならば恋愛の端緒はすなわち戦争と同様ということになる)のか・・・。
「非モテ」がひとつの「階級」であるならば生来のものであり(古典的社会主義に則れば)変えようがないのであるが
(社会主義理論における「革命」は「非モテ」階級が「モテ」階級へと転換できるとは主張していない。念のため)
「非モテ」とは民族・人種・性別といった動かしがたい決定事項とは違い、ただの現象である。
ならばある一定の条件・状況のもとでの変革は、場合によっては可能であり、
「非モテ」が「モテ」へと転換することは十分にあり得る。
ただ確率論ではないし、いかなる条件・状況のもとで転換が発生するのかが不明なので、
具体的にどういった人物にそれが起こり得るのかはわからないというしかない。



【三、モテ・非モテの構造】

以下後ほど加筆しますのでお待ちください。


追記:いま思索を深める時間がないので記事完成は無期延期。











勉強しろ

2016-06-30 08:13:45 | 余生
勉強しない浪人生なんか産業廃棄物ですからね
なお勉強しない大学生は生ゴミです。

勉強は戦争に似ている。

勉強は勉強するためにするのである。
また勉強することで、その者は聖化される。

だから俺は勉強する。
「大学に入って遊びたい」「大学で彼女をつくりたい」だと?
そんなの中高で済ましとけ。
あげくの果てに「将来の就職を見越して」とかいう理由で大学に入ってるやつ。
あなたは絶対に宗教家にはなれません。

勉強とは、学問という真なる神にたいする人の道である。
この命題を証明するには及ばない。これは信仰なのだ。
諸君は学問によってのみ聖とされるのである。
学問なければ我役立たず。
自戒も込め、肝に銘じる必要がある。


参考:
カトリックの信仰 (ちくま学芸文庫) 岩下壮一


『カトリックの信仰』は名著のひとつである。
そして再版されていたという事実に驚愕した。

女子供相手の嫌がらせは本当に楽しいですね

2016-06-27 18:44:38 | 余生

そういやgooブログでもお題とかいうのがあるんですね。空気を読まず参加しようと思います。


私の好きな昭和の名曲は『米本土空襲の歌』です。
こんな歌詞。




「何が物資だ 反抗だ
 はみ出す予算 組込んで」


「何が必死だ 決戦だ
 俄か造りの 飛行士で」



これなんて自虐?
ちなみに同曲発表の昭和十九年当時の国家予算配分は861億1600万円。
うち軍事費は735億1500万円で85.5%を占める。出典は『昭和財政史』(大蔵省財政史室編)。
さらに翌年、1945年度の日本のGNPは第二次大戦前のフィリピンのそれと変わらなかったという話もある。
要するに貧すれば鈍する、オワタ状態だったわけだ。


もう二千万特攻しかない。 by大西瀧治郎海軍中将


共和国の軍事費はいくらだったかなー。イスラエルの国防予算が46%という数字は何かで読んだのだが。



では本題に入ろう。古き良き思い出の話をしようと思う。

かつて私の遊戯のひとつに、Yahooきっずやキッズgooの投票にいやがらせする、というものがあった。
今でこそ、これらのサイトにおけるアンケートの設問と選択肢は運営が設定する形式になってしまったのだが、
かつては一般のネットユーザーでも選択肢を設定することができた。

子どもたちに向けたサイトなので、設問は実に他愛のないものであった。
「好きなポケモンは?」とかね。

で、「好きなポケモンは?」にどんな選択肢を放り込んだかというと・・・


「野獣先輩」


これだった。
もちろん私は「野獣先輩」を一位にすべく投票ツールをフル稼働させ、
子どもたちの「好きなポケモン」第一位はみごとホモビ男優と相成ったのであった。
また悪い大人というのはいるもので、私が設定した他の選択肢もけっこう伸びており、
ピカチュウなどを押しのけて堂々の二位に「多田野数人」がきたりもした。


ちなみに「なんとか女子」の集まる女向け掲示板でも
「好きなジャニーズは?」という質問に


金正日総書記」「池田大作名誉会長」「麻原彰晃尊師」


などの選択肢を放り込み、やはり投票ツールをつかったこともあり「女子が好きなジャニーズ」第一位は将軍様になった。


gooキッズの検索窓にさまざまな単語を放り込むのも楽しかった。
たとえば「ファック」などの毛唐言葉で検索すると軒並み検索結果に表示されず、中共を想起させた。
と思いきや「ハートマン軍曹」で検索すると平気で「アカの手先のおフェラ豚」といった軍曹語録が閲覧でき、
運営の目は節穴であり、悪しき形式主義・官僚主義に汚染されていると感じたものだった。


今となっては投票ツールを使うことでDos攻撃とみなされ、場合によっては手に縄がかけられることもあるので、
こうした危険な真似はできない。

しかしこうした遊びが、私の青春の一ページだったことは確かなのだ。


私の人生暗かった。終わり。