写真は僕が31歳から50代前半まで約20数年に渡って
経営していた店の現在の姿(跡地)・・・(9月に帰省した時に撮影)。
店は2つで、商店街を挟んで南北に向かい合って建っていた。
北の店は、ある事情があって現在は喫茶店になっているようだが
僕の時代は二階建ての店舗で敷地は64坪あった。
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「ある事情」というのは・・・少し複雑だが、
北の店そのものも老舗の店だったが、ある不幸に見舞われて衰退して行った。
その不幸に見舞われる前に、
エリート街道を歩み始めていた店の長男が僕の大学の後輩だったこともあって
僕らが店を購入した。
だが、僕らも事情があって手放したが、
その後、この店を購入したB君は事業を拡大させる間もなく、
カケ落ちして行方不明となった。
今はお母さんが細々と喫茶店を営業しながら
融資金の返済を続けているらしい。
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南の店は、今は(このように)駐車場になっている。
この土地には呉服店(商店街側)、
小さな塾、倉庫(手前)等が建っていた。
遡ると・・・高校時代の同級生が務めていた会社の社長の叔父が
この駐車場の地主だったので
同級生や社長の口利きで、その倉庫の半分を貸してもらって
商売を始めたのは、僕が31歳の時だった。
数年後に(前記の)北の店を3,650万円で購入し、
倉庫型の店舗を閉鎖して、北の店へ移転し、新規開店した。
その頃、商店街南側の呉服店は若夫婦が営む布団店に変わっていた。
その布団店も経営が苦しく、数年で閉店したので、
商店街の衰退を防ぐ意味もあって、僕らが新たに借りることになった。
31歳で年商がわずかに1000万円ちょっと程度だった店を
1億円超の店に成長させるのは・・・町自体の人口が
3万人足らずであったこともあって、それほど容易ではなかった。
それに家賃と銀行融資金の返済は
毎月、僕の両肩に重く、大きく圧し掛かって来た。
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更なる業容の拡大を目指したとき、
「(株)トトロ(仮名)の社長になりたい」
という株主が現れて内紛が続いた。
株主らの一部とは、銀行等を巻き込んでの争いになった。
株主らとの争いに嫌気が指した僕は社長職を友人に譲り、
個人商店として再出発した。
店内の一角ではトトロ商品をたくさん売っていたし、
僕自身や子供たちもトトロの大ファンだったことが、
僕のHN「トトロ」の由来になっている。
ただ、僕の株式会社は常に黒字であったし、
個人商店の時代を含めて、数十年間いつも黒字だった。
しかし、僕が居なくなった後は衰退の一途を経て
今は、登記簿上にのみ残っている。
もちろん、資本金1,550万円はどこへ行ったか分からないままだ・・・!?
その後、昔お世話になった東京の会社に請われて上京し、
子会社を一つ作って、昔の恩返しとして親会社の社長へ引き渡し(年末)、
その翌春に山陰へ行って、ケメちゃんらと知り合い、
仲間に入れてもらった。
思えば波乱の連続した人生だったけど、
今でも、同世代の連中を相手に
毎日のように波乱含みの生活が続いているよ~!?
・ (/_<。)・・・。