些事が気になって気になって生きる事にも支障が出る人と,それを諦める力が優れている人がいるからです。
確かに同じ人間で同じ問題に直面しても取る道はそれぞれという事になりますが,
その違いはその人が『何を結果として求めてきたか』というところで分かれるんじゃないかと思います。
粘着質な人は他人の思考や行動まで変えたいと思ったり,または自分の中に病的にしこりが残り続けてしまうという事があります。
工夫次第で軽くなる事もあれば,薬などを用いないと解決しない事もありますし, 実際そうでもないのに他者に都合が悪いという理由で『粘着質な人』と勝手に決められる事もあります。
サッパリした人は争い事や波風を立てる事を嫌う傾向があり,自分の我よりも秩序の方を優先するところがあるように思います。
そのぶん自分の気持ちを押し殺す事が得意だったり深く考えなかったり平和を愛していたりその人の『求めている結果』が物事に囚われない工夫をさせているのでしょう。
悪人を愛するのは難しい。
自分を苦しめてくる相手を愛する事も難しい。
愛とは許す事でもある。
そもそも愛とはその人を『思う』事が前提である。
その人を思った上での『最善案』,またはその人を思った上での『喜ばせたいと思う気持ち』,それが愛である。
だが自分にも限度というものがある。
愛が自分から出てこない事もある。
自分側からは愛したのにその愛が返ってこないなんて事もある。
愛とは見返りを期待しても無駄なものだ。
人を見下してしまうという気持ち。
コイツとは関わりたくないと思う。
それは平穏を求めているから。
ノイズのようなものは必要ない。
取捨選択である。
自分の中に残り続ける『もの』に憎しみを憶えてしまう事がある。
それは恐らく傷付いた証拠だろう。
傷が痛む。
それが憎しみなのかもしれない。
オススメ動画↓
統合失調症になり6年半。
幻聴や頭に垂れ流されてくる言葉や音に立ち向かい,見てきた世界の中で,自分が考えた事を,皆さんと共有したいです。
私は,統合失調症はたんなる病気とは思っておらず,この物質世界をこえた何者かの力が関係していると思うに至りました。
よく統合失調症と診断される人の多くが,『統合失調症は病気ではない』『犯罪だ』『宗教的組織による暗殺である』『集団ストーカーである』などと主張します。
実は私も全く同じ考えをしました。
『電波攻撃を受けている』,『家のどこかに盗聴機がある』『何者かが家に侵入している』
警察に相談した事もあります。
そうしたら麻薬犯罪を疑われ部屋を捜索されました。
自分で盗聴機がどこにあるか探した事もあります。
私は電波が電子機器を通じて自分の脳を攻撃され,脳内を思考盗聴されている,という感覚にさせられました。
それは外側から何かが送信されてくるという肉体的にも体感として起こる事もあれば,感情としてそういう気持ちになりました。
頭の中ではあらゆるストーリーが流れました。『知人が殺されているストーリー』『自分が捕まるストーリー』『自分が犯罪を犯しているストーリー』『自分に指示を出してくる人間がいるストーリー』
こうした経験を経て,その中で考えながら,自分を襲っているものはなんなのだろうと突き詰めていきました。
自分を襲っているものは,『外側の世界だ』という事です。
この宇宙には大きな意思があり,邪神があり,その神が世界を動かしている。
人間を駒のように動かしている。
また,霊界があり,それも邪悪なものと善のものに分けられ,さらにこの世には目には見えない世界,思念界や情報の世界というものがあり,人間に出入りしている。
起こる事が難しい偶然が起こるのはこの為だ。
念というものがある。
よく『サトラレ』というものになったという主張をするが,私も同じ経験をしている。
自分の思考が抜き取られ,世界に垂れ流されている感覚である。
努力というものはその方向性が間違っていると全く実を結ばないものです。
努力して成功した人というのはそこのところが合っているだけなのです。
みんな何かしらの努力はしています。
しかし実を結ばなかったからといって,『努力が足りなかったのだ』と一概には良い放てません。
人間,いろいろ問題を抱えている人もいれば,ない人もいます。
その問題が頭をもたげて,努力の方向性が求める結果と間違う事があるのです……。
という事は,それは『環境による』という事であり,ある意味運によって大きく左右されるという事です。
だから努力する才能がないと言う人はそれだけ何かの問題を生まれもって抱えており,不幸なのです。
『自分には運がない』という意味です。