些事が気になって気になって生きる事にも支障が出る人と,それを諦める力が優れている人がいるからです。
確かに同じ人間で同じ問題に直面しても取る道はそれぞれという事になりますが,
その違いはその人が『何を結果として求めてきたか』というところで分かれるんじゃないかと思います。
粘着質な人は他人の思考や行動まで変えたいと思ったり,または自分の中に病的にしこりが残り続けてしまうという事があります。
工夫次第で軽くなる事もあれば,薬などを用いないと解決しない事もありますし, 実際そうでもないのに他者に都合が悪いという理由で『粘着質な人』と勝手に決められる事もあります。
サッパリした人は争い事や波風を立てる事を嫌う傾向があり,自分の我よりも秩序の方を優先するところがあるように思います。
そのぶん自分の気持ちを押し殺す事が得意だったり深く考えなかったり平和を愛していたりその人の『求めている結果』が物事に囚われない工夫をさせているのでしょう。
悪人を愛するのは難しい。
自分を苦しめてくる相手を愛する事も難しい。
愛とは許す事でもある。
そもそも愛とはその人を『思う』事が前提である。
その人を思った上での『最善案』,またはその人を思った上での『喜ばせたいと思う気持ち』,それが愛である。
だが自分にも限度というものがある。
愛が自分から出てこない事もある。
自分側からは愛したのにその愛が返ってこないなんて事もある。
愛とは見返りを期待しても無駄なものだ。
人を見下してしまうという気持ち。
コイツとは関わりたくないと思う。
それは平穏を求めているから。
ノイズのようなものは必要ない。
取捨選択である。
自分の中に残り続ける『もの』に憎しみを憶えてしまう事がある。
それは恐らく傷付いた証拠だろう。
傷が痛む。
それが憎しみなのかもしれない。
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