このページは私が調べた寄席の世界の歴史をまとめたものになります。
順次わかっていったものは増やすことにしておきまして、まずは公開させていただければと思います(投稿日時は初版のものでございます)
なお、ここに載っているのは東京の落語の4団体(落協・芸協・円楽一門・立川流)と上方の落語の1団体(上方落協)、東京の講談の2団体(日本講談協会・講談協会)と上方の講談の3団体(大阪講談協会・上方講談協会・なみはや講談協会)、東京の浪曲(日本浪曲協会)と上方の浪曲(浪曲親友協会)、それから色物として浅草の東洋館をメインにしている漫才協会や東京演芸協会、それにボーイズバラエティ協会のこと。
それからそれらの協会や団体が出演する東京の定席(鈴本・末廣亭・浅草・池袋・国立)に上方の定席(繁昌亭・喜楽館)、永谷の演芸場(広小路亭・日本橋亭・両国亭)、それとにぎわい座・東洋館・木馬亭・大須演芸場などを加えて寄席の歴史としてみました。
1946年
3月-新宿末廣亭開席
1950年
1月‐講談の定席、本牧亭が開席
1951年
10月21日‐池袋演芸場が開席、この頃の池袋演芸場は全席畳席であり、めくりも末廣亭と同じく見出しであった
1957年
4月‐三代目林家染丸ら18人で上方落語協会を結成
1965年
10月1日‐大須演芸場開席
1970年
1月20日‐人形町末廣閉席、最終日は五代目古今亭今輔がトリを務めた(演目:留守居番)
5月1日‐木馬亭開席、当初は1~15日までの興行だが、現在は1~7日まで
1978年
落語協会から圓生一門が抜け「落語三遊協会」を設立
1979年
3月23日‐国立演芸場開席
1980年
2月‐圓楽一門以外の圓生一門が落語協会に戻る
8月‐東宝演芸場での東宝名人会は終了、その後は日比谷の芸術座に移ることとなる
1984年
9月11日‐この日の興行より鈴本演芸場は落語協会のみの出演となる
12月12日‐この日より御徒町「吉池」にて「吉池土曜寄席」がスタート
1990年
1月10日‐本牧亭が閉席
2月28日‐池袋演芸場が閉席
1992年
本牧亭が湯島に移り再開
永谷商事運営の寄席「お江戸日本橋亭」が開席
1993年
9月11日‐池袋演芸場が再開席、畳席から現在の椅子席へと変更 なお再開席後からしばらくは落語協会のみの出演となり、12月中席から落語芸術協会も出演するようになる
1996年
8月‐永谷商事運営の寄席「お江戸上野広小路亭」が開席
1997年
2月22日‐この日をもって御徒町「吉池」にて行われてきた「吉池土曜寄席」が終了
2002年
2月‐湯島の本牧亭が閉席、3月からは両国亭にて公演を続ける
4月13日‐横浜にぎわい座開席
7月‐本牧亭が上野の黒門町に移り、再開 講談会以外の時は日本料理屋となっている
8月11日‐この年より落語協会のお祭り「圓朝まつり」スタート、圓朝師匠が眠る全生庵にて開催
2003年
この年落語協会にて「黒門亭」スタート
2005年
2月10日‐東宝名人会終了、最終公演は古今亭菊之丞「棒鱈」、桂歌丸「お見立て」、内海桂子の三味線漫談、北見マキの和妻、三遊亭圓歌「中沢家の人々」というものであった。
2006年
9月15日‐天満天神繁昌亭開席、こけら落としでは三代目桂春團治が初代春團治が乗ったとされる赤い人力車に乗ってパレードをした
2007年
10月28日‐この年より今でも続く落語芸術協会のお祭り「芸協らくごまつり」が開催
2012年
8月5日‐この年の「圓朝まつり」を持って落語協会のお祭りはいったん終了、この年から全生庵でのお祭りは圓朝忌に戻る
2014年
2月3日‐大須演芸場が強制執行のため閉席、最終日は快楽亭ブラックがトリを務めた(演目:お血脈)が半ばで強制的に終了となり幕を下ろした なお、最終3日間は木戸銭を取らず無料で興行を見ることができた
6月25日‐この日の理事会で、十代目柳家小三治の後を受け、落語協会の11代目の会長に柳亭市馬が就任 なお、副会長には九代目林家正蔵が就任
10月23日‐十代目柳家小三治が人間国宝に認定
2015年
9月6日‐今も続く落語協会ファン感謝デー「謝楽祭」がこの年より開催
9月22日‐大須演芸場が新たな席亭をたててリニューアルオープン
2018年
4月1日‐魅知国定席 花座開席、1‐5日、25‐30日は落語芸術協会による定席興行の「魅知国仙台寄席」を実施
5月31日‐六代目桂文枝が会長を退任し、理事会の承認を得て上方落語協会の7代目の会長に笑福亭仁智が就任
6月15日‐この日の理事会にて、副会長の三遊亭小遊三が会長代理に就任
7月2日‐慢性閉塞性肺疾患のため桂歌丸が81歳にて死去、最後の高座は自身がトリの国立演芸場 平成30年4月中席 9日目(2018年4月19日)の「小間物屋政談」だった。
7月11日‐神戸新開地 喜楽館開席、当日はオープン記念のパレードが新開地商店街にて行われた
2019年
6月‐この月より大須演芸場の定席が10日間から7日間に減少
6月27日‐この日の役職会にて、落語芸術協会の6代目の会長に春風亭昇太が就任 なお、副会長には八代目春風亭柳橋が就任
7月19日‐日本講談協会名誉会長、落語協会参与(当時)の三代目神田松鯉が人間国宝に認定、講談からは2人目
2020年
3月28日‐この日から都内の寄席が休館、3月28・29日と4月4日~6月30日までが鈴本演芸場と池袋演芸場、3月28・29日と4月4日~5月31日までだったのが新宿末廣亭、浅草演芸ホール、国立演芸場は3月1日~7月31日まで休館、横浜にぎわい座、天満天神繁昌亭は4月1日~6月30日まで休館、永谷商事の寄席(広小路亭・日本橋亭・両国亭)は4月8日~5月30日まで、喜楽館は3月3日~7月22日まで休館となった
4月‐名古屋・大須演芸場を拠点にしている落語家の「雷門」一門が「登龍亭」を襲名
2021年
4月25日‐天満天神繁昌亭と喜楽館が緊急事態宣言のため休館、繁昌亭は5月31日、喜楽館は6月6日までの休館となった
5月1日‐この日から都内の寄席(永谷商事運営の寄席を含む)は5月1日~11日まで2度目の休館、この日から始まる予定だった落語芸術協会の真打昇進披露興行は6月中席(11~20日)からに延期になった
5月18日‐この日に寄席定席を支援するための落語協会・落語芸術協会合同のクラウドファンディング「寄席の危機に想いを寄せて」を立ち上げる
10月‐心不全のため十代目柳家小三治が81歳にて死去、最後の高座は同年10月2日の府中の森芸術劇場での「猫の皿」だった
2022年
10月1日‐日本浪曲協会所属の曲師、玉川祐子がこの日に誕生日を迎え百寿になる 現役最高齢の芸人
2023年
7月21日‐落語協会所属の六代目五街道雲助が人間国宝に認定、落語家からは4人目となる
10月‐国立演芸場閉席、なお、10月から建て替え工事を実施しており、その間は紀尾井小ホール・内幸町ホール・伝承ホール・深川江戸資料館などで代替公演を開催している
12月27日‐この日行われた「笑福亭里光の落語会」を持ち、お江戸日本橋亭が一旦の閉席
2024年
2月25日‐落語協会100年、100年前に上野精養軒で発会式があった記事を元にこの日を協会設立の日とし、それから100年経ったことによる なお同日に発会式があった上野精養軒にて記念式典を行った
6月26日‐この日の理事会にて、柳亭市馬の後を受け、落語協会の12代目の会長に柳家さん喬が就任 副会長は後日発表
7月19日‐浪曲親友協会会長の二代目京山幸枝若が人間国宝に認定、浪曲語りからの人間国宝は初めてとなる