あひる町の住人~兼業画家ライフ~

兼業画家をしています。高知在住。にゃんず・釣りやギター・ハシビロコウネタ、など、悲喜こもごもの土佐日記です。

ありがとうの言葉~「下宿のおばさん」の話

2015年08月18日 | 【エッセイ】
「人に世話になってるんじゃないわ!お返しが大変じゃないの!!」

小学生の頃、外でケガをし友達の家で手当てしてもらい帰ると母親にめちゃくちゃ叱られたことがあった。

ケガの心配どころか、ばんそうこうが貼ってある膝小僧をみて「お返しが大変」としきりに言っていた。

私は幼心に「?」マークが頭にずっと浮かんでいた。

《他人の家で手当てしてもらったことがそんなに悪いことだったのだろうか。なぜお返しをしなければならないのだろう?》

私は言葉を失って、ただ母親の顔をぼんやり見ていた。


母はきっと、「人に迷惑をかけたらいけない」ということを伝えたかったのだろうが、幼い僕には全く伝わらなかった。


それからは誰かに世話になっても母親に話すことはなかった。叱られるだけだと思ったからだ。


そんな私も母親に同調していき「他人の世話になりたくない」と激しく思うようになった。

幼少の頃にきっと知らずにたくさんの方々にお世話になったと思うが「どうかぼくに構わないでくれ、母親に叱られる」と思い込み、感謝の気持ちなどどこかに飛んでいってしまった。思い込みの強い僕の性格上仕方がない。


そう考えると子供の頃、誰かに「ありがとう」と言ったことがあっただろうか。心から感謝していただろうか。


【下宿屋さんのおばさん】


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忘れられない出来事を思い出した・・・。

本当に意味で感謝の言葉を言えるようになったのは、今から記すことからかもしれない。


私は高校を卒業し、しばらく会社に勤めていた。

半年が経った頃、18才の時に父が失踪したので父の会社の社宅にいることができず引っ越すことになり、母親と妹はアパートを借り、私は友人の家に下宿することになった。

下宿といっても、ふつうの部屋を一間借りていただけ。食事は基本外でしていた。

その下宿先のおばさん(友人の母親で40代)がとても親切で、こころよく私を受け入れていただいた。

私の収入は少なかったので、時には夕食をご馳走していただいた。おばさんは小料理屋をひとりで経営していたので、そのお店にもよく招待された。

そしていつも私の体の心配をしてくれた。

「他の母親というものは、こんなにやさしいものなのだろうか、いや、この人はなぜそこまで親切なのだろうか・・・」と疑問を持ちつつも、ただただ彼女のやさしさに甘えていた日々であった。




ある日、下宿のおばさんがかなり怒って私に話しかけてきた
「ああ、やはり他人、僕なんか邪魔なんだな」と思ったが、内容はだいぶ違っていた。


「あなたの母親!ひどすぎる!」


私はびっくりした。
続けてこう言った。

「いまあなたのお母さんから電話があって、『お子さんはうちでしっかり預かってますよ、家賃の滞納もないし、すごく真面目でいろいろがんばってますよ』と話したのよ・・・」

私はまさかと思ったが、あの母親のことだ、何を言ったかちょっと推測がついた。

「そうしたら、『そんなことはどうでもいい!迷惑だろうから、持ち物をすべて外へ放り出して今すぐ追い出してくれ!!』だって・・・!ふつうは『お世話になってます』じゃないの!?」

ああ・・・やはり・・・。
お世話になっている下宿のおばさんにすまない気持ちでいっぱいになった。



そしておばさんは私にこう言った。



「あたしゃ言ってやったわよ!『私はあの子を本当の息子のように思っています!!ほったらかしにしているあなたに言われたくない!あんなにいい子はいないですよ!今後も私が面倒見ますから!』ってね。だから安心しな!あんな母親の家に帰る必要はないよ!」


私はその言葉に感動したのと、自分の母親へのいらだちと、下宿のおばさんへ迷惑かけてすまないという気持ちが混ざり合って一瞬頭が真っ白になった。

なによりそこまで思ってくれていたなんて・・・私は感謝で胸が熱くなった。

そして・・・私は心の底から言った。

「ありがとうございます」


涙こそ出なかったが、忘れかけていた「人への感謝の気持ち」を素直に言葉にした。


その後、しばらく下宿していたが、新しい職場を見つけてその近くへ引っ越すことになった。

下宿屋のおばさんにはいまでも感謝の気持ちでいっぱいである。

このことが無ければ、私は完全に世捨て人になってやさぐれていたかもしれない。ちょっと大袈裟かな。



【息子に教えている2つのこと】

朝、仕事で家に出る前に息子に言い聞かせていることがある。

ひとつは「元気にごあいさつ」

そして「ありがとうを言うこと」

どちらも私が幼少の頃にできなかったこと。そして今ではとても大切なことだと知った。

私はこの「ありがとう」という言葉が魔法の言葉だと思っている。

幸い、小1の息子はことあるごとに「ありがとう」と言ってくれている。

大切なことをひとつ、息子に教えられたのかと思うと、あの下宿先の大家さんに更に感謝の気持ちでいっぱいである。

私も50才手前にして、ようやく親からの支配というか、自分が思い込んだ間違った呪縛から完全に脱出できたのかもしれない。

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