1日目、夕方三鷹に到着した僕ら。
吉祥寺を電車で2往復(笑)したあと
PM7:00に幼馴染のhajirockに
会う約束をしていた。
今回、FBのつながりのおかげで
高校当時、一緒にバンドをしていた
仲間も数名集まるということでドキドキ♪
※hajirockは現役ミュージシャン・音楽クリエイター。
26才の時、僕がバンドを辞めた後も
彼は音楽を続け、飯を食っていた。
彼の才能は当時から抜きんでていた・・・
というか、ぶっとんでいた(笑)
彼の曲はPOPで、ギターを弾いていても楽しかったのを思い出す。
【僕の音楽的ルーツは彼から】
彼とは小学校からのつきあいで
野球をやったり漫画を描いたりしていた。
中学で別々のクラスになり
クラブ活動も別だったので
ちょっと疎遠になった時期もあった。
中学~高校の頃、久しぶりに彼の家に行くと
ピアノ、アコーディオン、ギターはもとい、
ドラムセットまでもが4畳半くらいの部屋に
ギッチリあった(笑)
でっかいステレオもあって
当時流行っていた「YMO」を
大音量でガンガン聴いていた。
部屋の鍵はいつもかかっておらず
hajirock本人は不在なのに
勝手に仲間が集まって
テキトーに楽器いじって遊ぶという毎日。
治安が良すぎる国立市ならでは(笑)
※僕はそのころフォークギターしか所有しておらず
いまだから言える「中島みゆき」「オフコース(初期)の
タブ譜買ってこっそり練習。どうしても「長淵剛」は受け入れがたかった(笑)
そのほかは当時のアイドル雑誌「平凡」「明星」の付録に
流行っていた曲がコード付きでまとめたものがあって
それを見てギターを弾きながら鼻歌程度で歌っていた。
暗い・・・とてつもなく暗い・・・(笑)
【まさに高校デビューの僕w】
そんなこんなでバンドやろうぜ!
ということになったのが
今回集まったメンバー。
このメンバーで高校1~2年に
「EXCURSION」
(エクスカーション:意味・遠足)
というバンドを組み
佐野元春やオフコース、RCサクセションや
当時流行っていた洋楽のコピー、
オリジナル曲などをやっていたというわけだ。
ハードロック、ヘビメタ全盛期に
このラインナップはおもしろい。
ライブでは好き勝手に
やっていた。RCサクセションの影響で
衣装も間違った方向で奇抜だった(笑)
当時のメンバーは、
hajirockを中心に集まったメンバーで
みんな通っていた高校が違っていた。
僕以外のメンバーはそれぞれの学校の人気者。
練習は無料の国立公民館。
楽器は持ち込みだが、一日練習できる。
楽器を大量に載せたリヤカー引いて
みんなで大学通りを歩いたっけ。
初回のライブはみんなで企画した
「国立公民館ホール」での
数バンド集めた合同ライブ。
皆でPAの手配、楽器やアンプを持ち寄り
僕は手作りチケットを作った。
照明もかわるがわる持ち回りでやった。
当日は満員、黄色い声援
(僕が女子に頼んだサクラ/笑)
もあり異様に盛り上がった。
※当時の写真。右から僕、hajirock
初回のライブを観て、
25才くらいのお兄さんが
声をかけてきた。
僕らをえらく気に入ってくれて
ライブのブッキングを数回してくれた。
おかげで都内のライブハウスや
コンテストにも出演。
まだROCKが「不良」(笑)と
呼ばれていた頃だったが
バンドブームもあって、ライブをやれば満員。
若い僕らはかなり有頂天になっていた。
当時スーパーシャイボーイの僕が
なんとリーダーだった(ありえん)。
まぁ、それぞれの個性が強かったので
意見を主張しないのが僕だけだったということ(笑)
今考えると
高校時代はクラブ活動(バドミントン部)とカラオケ設置のバイト、
このバンド,他学園祭バンドのかけもち・・・
高校生ながらこのハードスケジュールをよくこなしていたなぁと
いまでも不思議である・・・。
勉強した記憶がないわけだ。
【ついに再会】
偶然、待ち合わせのレストランの上が
宿泊するホテルだったというミラクル(笑)
ついでに夕食をとるため、
妻とユイ君(5)も参加。
ぽつりぽつりとメンバーが集まる。
FBですでに交流しているメンバーは
なぜか久しぶりのような気がしない。
たぶん、30年ぶりの友人もいるのに。
(これ不思議よね)
「おー!!」
「変わってない!」
「高校以来かぁ!」
「いま何やってんの~」
などとお互いの老け具合も確認しつつ(笑)
募る話が止まらない。健康情報も止まらない(笑)
長いレストランの待ち時間も
気にならないのが不思議だった。
メンバーの集まりかたも高校時代のまま。
いつも遅刻していた人は今日も遅刻。
妻とユイ君(5)もみんなにごあいさつ。
人見知りせんなぁこの子は(感心)
ようやく席が空き、レストランへ。
するとメンバーのひとり・ケンケン(元ドラマー)がスっといなくなった。
・・・1時間くらい消えた(笑)
やがてハァハァ言いながら
戻ってきたケンケン・・・。
「ユイ君はこういうの読むかなぁ」
と言いながら、コロコロコミックと
ドラえもんの単行本を
ユイ君にプレゼントしてくれた。
なんと、数日前からユイが読みたがっていた
コロコロコミック!
(実際は文字がまだ読めないのだが)
ユイ君大喜び♪
実はケンケン、このプレゼントを買いに本屋を探していたら
迷子になったという・・・(笑)
相変わらずの気遣いと笑いの神様君臨も健在!!
当時からなにも変わってないキャラだ。
感謝!!
※写真・右から4番目がケンケン
「再会にかんぱーい♪」
話は尽きない。
子供の話、仕事の話
当時のバンドの話・・・
現在もバンド内での役割や個性そのままに
それぞれの世界で活躍していた。
デザイナー、音楽プロデューサー、
管理職、職人・・・
そしてなぜだか働いていないのに
一番羽振りの良いI君。
高校当時より謎(笑)
連絡のつかなかったメンバーの
その後の話もあった。
それはそれはせつない話もあった・・・。
【みんなに伝えるべきこと】
そして、皆が気づく前に
僕は左の指のケガのことを
打ち明けることにした。
(僕は20台後半、仕事中に左手中指を第2関節から完全に切断、
薬指も切断したが無理やり医者に繋げてもらった。いまだ感覚はない)
話の流れはどうだったか覚えていない。
「ちょっと
ビックリするかもしれないけど・・・」
と、左手を見せる。
みんなはぎょっとして
僕の異形の手を見つめる。
僕はすかさず話した。
「これをやっちまった時は
『あぁ、これでギターとはおさらばだ』
と思った。
この頃はバスフィッシングを
本格的に始めていたから
まぁしょうがないと思っていたんだ。
でもある日『もしかしたら弾けるかも』と
ギターを引っ張り出して弾いてみたら案外できた。
前みたいにはいかないけど、
今もちょいちょいやってるよ」
指を動かして見せた。
すると
現役ギタリストのS氏が
あっけらかんと言ってくれた。
「変則チューニングとかすればイケるじゃん」
すっと気分が軽くなった。
意外に思いつかなかった。それはいただきだ(笑)
やっぱり気が合うのだなぁ。
※左・スーパーギタリストS氏。高校生とは思えないテクだった。
まさかツインギターやるとは!?右・僕。楽しそうだわ(笑)
2次会・・・当時のようにジャケ写。
2次会はバイユーゲイトへ行く予定だったが、ライブ中だったのでテキトーな居酒屋へくりだした・・・。
【高知出身の店主・バイユーゲイト】
3次会は音楽喫茶/南風BAR「バイユー・ゲイト」と決めていた。
高知にゆかりのあるこのライブハウスの店主は、Flat five Jazz Qualtetの同級生。
僕がこちらへ寄ることを、高知の友人が連絡してくれていた。
ちょうどライヴで盛り上がっていたところ、忙しいところなのに
わざわざ店主の有さんが駆け寄ってライブの終わり時間を教えていただいた。
ライブハウスなのでライブが終わった頃を見計らって
行ってみた。
オーナーさんが高知出身!
(なんとフラットファイブのメンバーと同級生!)
フラットファイブのメンバーの
悪口言ってましたよ~(爆笑)
土佐の名酒がずらりと並ぶカウンター。
土佐の辛口の酒をみんなで飲んで泥酔。
「帰りの電車ない~」
「歩いて帰るわ~」
「どうしよ、へへへ~♪」
と言いながら夜中まで飲んでました。
実は僕が夜中まで飲むのは滅多にない・・・・
本当に楽しかった。
楽しい時しか酒をたくさん飲めないってわけ!!
※ちなみに飲んだのは
ビール2杯・焼酎1杯・酔鯨まけまけ1杯
ダバダ1杯で泥酔。奇跡!
後で気づいたが
みんなに芋けんぴのおみやげを渡しそびれ、
バイユーゲイトにギターもあったのにセッションしなかったのが悔やまれた。
まったく僕は何をしゆうがかえ!?
すまんすまんすまざった!
次回はぜひ・・・。
次の日・・・
当然2日酔い。
みんなちゃんと帰れたかなぁ(笑)
吉祥寺を電車で2往復(笑)したあと
PM7:00に幼馴染のhajirockに
会う約束をしていた。
今回、FBのつながりのおかげで
高校当時、一緒にバンドをしていた
仲間も数名集まるということでドキドキ♪
※hajirockは現役ミュージシャン・音楽クリエイター。
26才の時、僕がバンドを辞めた後も
彼は音楽を続け、飯を食っていた。
彼の才能は当時から抜きんでていた・・・
というか、ぶっとんでいた(笑)
彼の曲はPOPで、ギターを弾いていても楽しかったのを思い出す。
【僕の音楽的ルーツは彼から】
彼とは小学校からのつきあいで
野球をやったり漫画を描いたりしていた。
中学で別々のクラスになり
クラブ活動も別だったので
ちょっと疎遠になった時期もあった。
中学~高校の頃、久しぶりに彼の家に行くと
ピアノ、アコーディオン、ギターはもとい、
ドラムセットまでもが4畳半くらいの部屋に
ギッチリあった(笑)
でっかいステレオもあって
当時流行っていた「YMO」を
大音量でガンガン聴いていた。
部屋の鍵はいつもかかっておらず
hajirock本人は不在なのに
勝手に仲間が集まって
テキトーに楽器いじって遊ぶという毎日。
治安が良すぎる国立市ならでは(笑)
※僕はそのころフォークギターしか所有しておらず
いまだから言える「中島みゆき」「オフコース(初期)の
タブ譜買ってこっそり練習。どうしても「長淵剛」は受け入れがたかった(笑)
そのほかは当時のアイドル雑誌「平凡」「明星」の付録に
流行っていた曲がコード付きでまとめたものがあって
それを見てギターを弾きながら鼻歌程度で歌っていた。
暗い・・・とてつもなく暗い・・・(笑)
【まさに高校デビューの僕w】
そんなこんなでバンドやろうぜ!
ということになったのが
今回集まったメンバー。
このメンバーで高校1~2年に
「EXCURSION」
(エクスカーション:意味・遠足)
というバンドを組み
佐野元春やオフコース、RCサクセションや
当時流行っていた洋楽のコピー、
オリジナル曲などをやっていたというわけだ。
ハードロック、ヘビメタ全盛期に
このラインナップはおもしろい。
ライブでは好き勝手に
やっていた。RCサクセションの影響で
衣装も間違った方向で奇抜だった(笑)
当時のメンバーは、
hajirockを中心に集まったメンバーで
みんな通っていた高校が違っていた。
僕以外のメンバーはそれぞれの学校の人気者。
練習は無料の国立公民館。
楽器は持ち込みだが、一日練習できる。
楽器を大量に載せたリヤカー引いて
みんなで大学通りを歩いたっけ。
初回のライブはみんなで企画した
「国立公民館ホール」での
数バンド集めた合同ライブ。
皆でPAの手配、楽器やアンプを持ち寄り
僕は手作りチケットを作った。
照明もかわるがわる持ち回りでやった。
当日は満員、黄色い声援
(僕が女子に頼んだサクラ/笑)
もあり異様に盛り上がった。
※当時の写真。右から僕、hajirock
初回のライブを観て、
25才くらいのお兄さんが
声をかけてきた。
僕らをえらく気に入ってくれて
ライブのブッキングを数回してくれた。
おかげで都内のライブハウスや
コンテストにも出演。
まだROCKが「不良」(笑)と
呼ばれていた頃だったが
バンドブームもあって、ライブをやれば満員。
若い僕らはかなり有頂天になっていた。
当時スーパーシャイボーイの僕が
なんとリーダーだった(ありえん)。
まぁ、それぞれの個性が強かったので
意見を主張しないのが僕だけだったということ(笑)
今考えると
高校時代はクラブ活動(バドミントン部)とカラオケ設置のバイト、
このバンド,他学園祭バンドのかけもち・・・
高校生ながらこのハードスケジュールをよくこなしていたなぁと
いまでも不思議である・・・。
勉強した記憶がないわけだ。
【ついに再会】
偶然、待ち合わせのレストランの上が
宿泊するホテルだったというミラクル(笑)
ついでに夕食をとるため、
妻とユイ君(5)も参加。
ぽつりぽつりとメンバーが集まる。
FBですでに交流しているメンバーは
なぜか久しぶりのような気がしない。
たぶん、30年ぶりの友人もいるのに。
(これ不思議よね)
「おー!!」
「変わってない!」
「高校以来かぁ!」
「いま何やってんの~」
などとお互いの老け具合も確認しつつ(笑)
募る話が止まらない。健康情報も止まらない(笑)
長いレストランの待ち時間も
気にならないのが不思議だった。
メンバーの集まりかたも高校時代のまま。
いつも遅刻していた人は今日も遅刻。
妻とユイ君(5)もみんなにごあいさつ。
人見知りせんなぁこの子は(感心)
ようやく席が空き、レストランへ。
するとメンバーのひとり・ケンケン(元ドラマー)がスっといなくなった。
・・・1時間くらい消えた(笑)
やがてハァハァ言いながら
戻ってきたケンケン・・・。
「ユイ君はこういうの読むかなぁ」
と言いながら、コロコロコミックと
ドラえもんの単行本を
ユイ君にプレゼントしてくれた。
なんと、数日前からユイが読みたがっていた
コロコロコミック!
(実際は文字がまだ読めないのだが)
ユイ君大喜び♪
実はケンケン、このプレゼントを買いに本屋を探していたら
迷子になったという・・・(笑)
相変わらずの気遣いと笑いの神様君臨も健在!!
当時からなにも変わってないキャラだ。
感謝!!
※写真・右から4番目がケンケン
「再会にかんぱーい♪」
話は尽きない。
子供の話、仕事の話
当時のバンドの話・・・
現在もバンド内での役割や個性そのままに
それぞれの世界で活躍していた。
デザイナー、音楽プロデューサー、
管理職、職人・・・
そしてなぜだか働いていないのに
一番羽振りの良いI君。
高校当時より謎(笑)
連絡のつかなかったメンバーの
その後の話もあった。
それはそれはせつない話もあった・・・。
【みんなに伝えるべきこと】
そして、皆が気づく前に
僕は左の指のケガのことを
打ち明けることにした。
(僕は20台後半、仕事中に左手中指を第2関節から完全に切断、
薬指も切断したが無理やり医者に繋げてもらった。いまだ感覚はない)
話の流れはどうだったか覚えていない。
「ちょっと
ビックリするかもしれないけど・・・」
と、左手を見せる。
みんなはぎょっとして
僕の異形の手を見つめる。
僕はすかさず話した。
「これをやっちまった時は
『あぁ、これでギターとはおさらばだ』
と思った。
この頃はバスフィッシングを
本格的に始めていたから
まぁしょうがないと思っていたんだ。
でもある日『もしかしたら弾けるかも』と
ギターを引っ張り出して弾いてみたら案外できた。
前みたいにはいかないけど、
今もちょいちょいやってるよ」
指を動かして見せた。
すると
現役ギタリストのS氏が
あっけらかんと言ってくれた。
「変則チューニングとかすればイケるじゃん」
すっと気分が軽くなった。
意外に思いつかなかった。それはいただきだ(笑)
やっぱり気が合うのだなぁ。
※左・スーパーギタリストS氏。高校生とは思えないテクだった。
まさかツインギターやるとは!?右・僕。楽しそうだわ(笑)
2次会・・・当時のようにジャケ写。
2次会はバイユーゲイトへ行く予定だったが、ライブ中だったのでテキトーな居酒屋へくりだした・・・。
【高知出身の店主・バイユーゲイト】
3次会は音楽喫茶/南風BAR「バイユー・ゲイト」と決めていた。
高知にゆかりのあるこのライブハウスの店主は、Flat five Jazz Qualtetの同級生。
僕がこちらへ寄ることを、高知の友人が連絡してくれていた。
ちょうどライヴで盛り上がっていたところ、忙しいところなのに
わざわざ店主の有さんが駆け寄ってライブの終わり時間を教えていただいた。
ライブハウスなのでライブが終わった頃を見計らって
行ってみた。
オーナーさんが高知出身!
(なんとフラットファイブのメンバーと同級生!)
フラットファイブのメンバーの
悪口言ってましたよ~(爆笑)
土佐の名酒がずらりと並ぶカウンター。
土佐の辛口の酒をみんなで飲んで泥酔。
「帰りの電車ない~」
「歩いて帰るわ~」
「どうしよ、へへへ~♪」
と言いながら夜中まで飲んでました。
実は僕が夜中まで飲むのは滅多にない・・・・
本当に楽しかった。
楽しい時しか酒をたくさん飲めないってわけ!!
※ちなみに飲んだのは
ビール2杯・焼酎1杯・酔鯨まけまけ1杯
ダバダ1杯で泥酔。奇跡!
後で気づいたが
みんなに芋けんぴのおみやげを渡しそびれ、
バイユーゲイトにギターもあったのにセッションしなかったのが悔やまれた。
まったく僕は何をしゆうがかえ!?
すまんすまんすまざった!
次回はぜひ・・・。
次の日・・・
当然2日酔い。
みんなちゃんと帰れたかなぁ(笑)
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