スーパー主婦(家事は適当)の徒然なる音楽な日々

旦那一人と猫2匹の家庭ゴスペルやその他幼児音楽教育いろいろと挑戦中アカペラ4人のユニットゴスペルデュオともいみり活動中

あの日の記憶

2019年03月12日 00時23分56秒 | 思ったこと
2011.3.11
私は幼稚園教諭をしていて、
その日のお迎えにこられた保護者が、
「先生、なんだか東北の方、大変ですよ。」
といわれ、何も情報がここにはないのでわからず、
帰宅してニュース見て驚く。

そして、真っ先に
ミクシィ仲間のことを思い浮かべる。

いつもブログも真っ先に書き込んでくれていた人

私のブログにはその時の、
気持ちが書き綴られていた。

神様、お願いだからもう、何もない静かに温かく
寝られる夜にしてあげて、揺れをしずめて!
私は何をしたらいいのでしょう❗教えてください❗

まだ、クリスチャンにはなってませんでしたが、
この時心のそこから祈ることをしました。

祈るしかないと思ったのです。

でも、それは間違いで、
祈りには強い力があることを知りました。

遠い九州の地でみながうごきはじめました。

今は音楽では寄付を集め、送るということで。
実際にうちの娘の就職が決まった理容室のオーナーは
物資を集め、石巻まで震災一週間後にいきました。

何かせねば!

皆がそういう思いだったのです。
でも幼稚園教諭で、家庭の主婦である私には
その生活をやめるわけにはいきませんでした。
ここでこんなことしてていいのだろうか、
そういう思いが駆け巡ります。
3日後、電気が復活した、と、mixi仲間の無事が
わかりました。

安堵しましたが、今度は何がほしいか聞いても
すぐに送れなかったのです。
こっちが、水不足になり買えなくなってしまった。

宅急便がいち早く動いていました。
頭下がります。
私が持っていくことができたら、と、何度考えたことでしょう。でも、クラスをほったらかしにしていくこともできず。

ちょうど年中を受け持っていて
この子達も津波の映像で恐怖を覚えていたよう。
ならばきっと、東北の子どもたちもきっと、
表現できない辛さを抱えているに違いない、
ああーいきたーい!

そんなこんなで、なにやら考える日々が続き
二年後私は幼稚園教諭をやめました。

そして、念願の、仙台へ。私の同級生が
仙台にいることを知り、まずは、
その子に会いました。変わらない明るい彼女は
川一本挟んで津波の被害はまぬかれたけど、
家はぐちゃぐちゃ。大変だった、物資も来ないしね、と
話してくれました。

それから、mixi仲間にあえることができました。
彼女は私たちをもてなしてくれました。
あのとき、助かりましたと。
でも、施しを受ける、ということに、
慣れなくてなんだか心が苦しくてというのも、
わかりました。だから、思い切りおごってもらいました❗

福岡だっていつか何かあるかもしれない。
助け合いは施しではないよ。

二年後の石巻はなんにもないなかに、
お店が並んで特産品を売ってました。
牛タン最高だったよー!

福島は原発のせいで、帰れない方々がまだたくさんいて
苦しんでいらっしゃる方々が、何千人もいらっしゃるとか。

🤲どうか、心のそこから祈ります。
前と同じとはいわなくても、
平安で、優しき人々が集い力を合わせ
励まし合って、日々を過ごしていけますように。
ささやかな日々に、喜びを感じて
過ごしていけますように。
いつか、私たちが皆さんの癒しとなる
楽しみとなる歌を歌いに行けますように。
❣️

8年たったとはおもえない、
あの日の出来事。ずっとずっと、
忘れず復興するまで
祈り続けます。

God bless you.








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