先日、レッスンに行ってふと、
折尾クリスチャンチャーチの教会の週報に目をやったら
「災難に見舞われたときの祈り方」
というのがあった。
そのなかに
“人は手も足も出ない状況の時に「祈るしかない」と言いますが、それは違っていて
祈りというのは強力なもので、まずはじめに祈りべきだ”
という文章が目に付いた。。
①救済を必要とする人のところに早く助けが届くように。
②救済チームのために:安全に作業し、休憩を得られるように勇気づけられながら仕事が
できるように。
③被災者の心のために:恐ろしい光景を見てしまった家族のため、愛する人のことを心配してる人のため、
自分自身の安全が心配でたまらない人たちのために。
④子供たちのために:慰めを必要としている子供たちのため、抱きしめられて大丈夫だと安心させてもらう必要のある子どもたち、
安全な環境を必要としている子供たちのために。
⑤国のために:政府や権限のあるある人のため、また役所でややこしい手続きが亡くなるように。
⑥救援団体のために:長期的変化をもたらすために必要な、知恵とあわれみの心が与えられますように。
⑦あなたの周りにいる人たち:心から必要にこたえることができるように。
⑧自分自身に:今すぐ憐みの心が与えられ、その思いが大きくなっていくように。
そして祈りが終わった時
自分自身に問いかけろと・・「私はどのように人々を助ける活動にかかわることができるだろうか?」
「私は個人的に支援にかかわっている人をどのように経済的に支えることができるだろうか?」
ここの牧師さんは実際にいって、
私たちのチャリティライブでのお金を
孤立されてしまった地域、支援の届きにくい被災地に救援物資と
献金を届けてくださいました。
その行動力に感謝。
今の私には、行くということができないけれど、
ずっとずっと、長期的にチャリティで
義援金という形で、支えていくしかないと思う。
そのためには、私はもっと
うまくなりたいし、来てくださるお客さんには
その気持ちが伝わるように
お客さんが癒されて、気持ちよくなって
帰路についていただけるように
練習せねばと思う。
6月19日
コミセンわじろ(福工大前駅構内)にて
15時より
チャリティコンサートをします。
どうか、ご協力ください!!
人はよくも悪くも、「忘れる」ということができます。いろんなことに慣れてしまうと、自分の痛みではなく、人の痛みを、どこかに置いてきてしまう。
通常の生活に追われて、非日常でのことを、忘れてしまう。
スーパー主婦さんの日記のように、
細くも長く続けていけるよう、私も頑張ります。
今度、自分のボランティアしている国営の公園で、ゴスペルのチャリティコンサートをしようと走り回っています。
国の公園でも初めてのことで、手続きもややこしく、うちのVOVの大所帯クワイヤなので、運営委員会を通したりと、一筋縄ではいかないことばかりで、くじけそうになりますが、この二つをつなげるのは、自分にしかできないことなんだと、こころに柱を立てながら、踏ん張っています。
お互い、自分にできることを、
できる範囲で、細くても長く、頑張っていきましょうね
頑張ってますね。
絵本の読み聞かせといい、
いろんなことにがんばってる花音さんから
私も力をもらってます。
ずっと忘れずに支えていきましょうね。