2011.3.11
私は幼稚園教諭をしていて、
その日のお迎えにこられた保護者が、
「先生、なんだか東北の方、大変ですよ。」
といわれ、何も情報がここにはないのでわからず、
帰宅してニュース見て驚く。
そして、真っ先に
ミクシィ仲間のことを思い浮かべる。
いつもブログも真っ先に書き込んでくれていた人
私のブログにはその時の、
気持ちが書き綴られていた。
神様、お願いだからもう、何もない静かに温かく
寝られる夜にしてあげて、揺れをしずめて!
私は何をしたらいいのでしょう❗教えてください❗
まだ、クリスチャンにはなってませんでしたが、
この時心のそこから祈ることをしました。
祈るしかないと思ったのです。
でも、それは間違いで、
祈りには強い力があることを知りました。
遠い九州の地でみながうごきはじめました。
今は音楽では寄付を集め、送るということで。
実際にうちの娘の就職が決まった理容室のオーナーは
物資を集め、石巻まで震災一週間後にいきました。
何かせねば!
皆がそういう思いだったのです。
でも幼稚園教諭で、家庭の主婦である私には
その生活をやめるわけにはいきませんでした。
ここでこんなことしてていいのだろうか、
そういう思いが駆け巡ります。
3日後、電気が復活した、と、mixi仲間の無事が
わかりました。
安堵しましたが、今度は何がほしいか聞いても
すぐに送れなかったのです。
こっちが、水不足になり買えなくなってしまった。
宅急便がいち早く動いていました。
頭下がります。
私が持っていくことができたら、と、何度考えたことでしょう。でも、クラスをほったらかしにしていくこともできず。
ちょうど年中を受け持っていて
この子達も津波の映像で恐怖を覚えていたよう。
ならばきっと、東北の子どもたちもきっと、
表現できない辛さを抱えているに違いない、
ああーいきたーい!
そんなこんなで、なにやら考える日々が続き
二年後私は幼稚園教諭をやめました。
そして、念願の、仙台へ。私の同級生が
仙台にいることを知り、まずは、
その子に会いました。変わらない明るい彼女は
川一本挟んで津波の被害はまぬかれたけど、
家はぐちゃぐちゃ。大変だった、物資も来ないしね、と
話してくれました。
それから、mixi仲間にあえることができました。
彼女は私たちをもてなしてくれました。
あのとき、助かりましたと。
でも、施しを受ける、ということに、
慣れなくてなんだか心が苦しくてというのも、
わかりました。だから、思い切りおごってもらいました❗
福岡だっていつか何かあるかもしれない。
助け合いは施しではないよ。
二年後の石巻はなんにもないなかに、
お店が並んで特産品を売ってました。
牛タン最高だったよー!
福島は原発のせいで、帰れない方々がまだたくさんいて
苦しんでいらっしゃる方々が、何千人もいらっしゃるとか。
🤲どうか、心のそこから祈ります。
前と同じとはいわなくても、
平安で、優しき人々が集い力を合わせ
励まし合って、日々を過ごしていけますように。
ささやかな日々に、喜びを感じて
過ごしていけますように。
いつか、私たちが皆さんの癒しとなる
楽しみとなる歌を歌いに行けますように。
❣️
8年たったとはおもえない、
あの日の出来事。ずっとずっと、
忘れず復興するまで
祈り続けます。
God bless you.
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