さて山中編第4弾です
何のお話でしょうか?
「山中の大伽藍」=(やまなかのだいがらん)
というお話をしましょう。
【大むかし、山中から白井へ行く途中、
一方は山、一方は谷のところに「ヤマノエ山」という
大伽藍があったといわれる。
その伽藍のものであったとされる仏像が五体、
今も内浦にあるお堂に奉られている。
神野には、阿弥陀如来の坐像一体と
金剛力士像の二体があり、神野浦には阿弥陀如来坐像
が一体、小黒飯には薬師如来坐像が残されている。
これらの仏像は、もとはいっしょにまつられていたもので
その場所が、伽藍であるという。
七堂伽藍は、戦国時代に織田信長によって
焼き払われ、そのときのものは四体の仏像以外
いっさい残っていないそうだ。
天正四年(1574)に反信長派の武藤友益を討ったときか
または、丹羽長秀城わり(城をこわす)の天正十二年
ころに焼き払われたとされているが、確かな記録はなく、
炎の中から五体の仏像だけ、辛うじて持ち出されたと
いい伝えられているだけである。
山の中に広い寺院が建てられていたといい伝えられる。
そこへの道案内のように、
古びた地蔵が、今も立っているのが不思議である。】
というお話でした。
写真を入れるといいのですが
村の人に迷惑がかかるといけないので
今回は、写真なしです・・足からず。
まだまだありますよ
それでは第5弾を
お楽しみに
じゃーね・・・・・
よろしく
何のお話でしょうか?
「山中の大伽藍」=(やまなかのだいがらん)
というお話をしましょう。
【大むかし、山中から白井へ行く途中、
一方は山、一方は谷のところに「ヤマノエ山」という
大伽藍があったといわれる。
その伽藍のものであったとされる仏像が五体、
今も内浦にあるお堂に奉られている。
神野には、阿弥陀如来の坐像一体と
金剛力士像の二体があり、神野浦には阿弥陀如来坐像
が一体、小黒飯には薬師如来坐像が残されている。
これらの仏像は、もとはいっしょにまつられていたもので
その場所が、伽藍であるという。
七堂伽藍は、戦国時代に織田信長によって
焼き払われ、そのときのものは四体の仏像以外
いっさい残っていないそうだ。
天正四年(1574)に反信長派の武藤友益を討ったときか
または、丹羽長秀城わり(城をこわす)の天正十二年
ころに焼き払われたとされているが、確かな記録はなく、
炎の中から五体の仏像だけ、辛うじて持ち出されたと
いい伝えられているだけである。
山の中に広い寺院が建てられていたといい伝えられる。
そこへの道案内のように、
古びた地蔵が、今も立っているのが不思議である。】
というお話でした。
写真を入れるといいのですが
村の人に迷惑がかかるといけないので
今回は、写真なしです・・足からず。
まだまだありますよ
それでは第5弾を
お楽しみに
じゃーね・・・・・
よろしく