ここは若狭高浜 内浦公民館

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内浦ふるさと探訪(山中編)

2008年11月04日 | 内浦って…
やってきました山中編です。


山中とは:名の示す通り山間の地に出来た地区。


山間とはいっても景色は大変すばらしいところです

山あり海ありで最高ですよ!!

また、東西に細長く白井組(白井)・中組(北畑、東、道場)・西組(西)

と3つの組に分かれていますがまとめて=山中区となっています。

この写真は山中区の丁度真ん中くらい(道場の附近)







それでは、高浜町誌に掲載されています


       「鳥塚」のお話です。


     【大昔、日本の地固めをしたという三羽の

      黄金の鳥がいた。

      一羽は、江州(滋賀県)もう一羽は奥州(東北)に

      あとの一羽をこの内浦に埋めたが、この鳥を

      埋めるにあたり、ある1人の人間が

      この鳥と一緒に入定したと言う。

      土地の人は、この塚に七日間お参りすると

      必ず願い事がかなえられるといいます。

      またこの塚石のまわりを呼吸せずに七回まわれば

      地中の鳥が歌をうたう・・といわれている。】



鳥塚附近の全景です。



この平らな石の所です。




地元のお年寄りさんに聞きますと


昔小さい頃は、よくみんなとぐるりぐるりとまわりながら


遊んだもんやで!!


そやけど、鳥が鳴いたかどうかは


覚えとらんなあ~~


呼吸せず七回まわるのは


たいへんやで・・・・・と。


だれか、一度ためしてみては・・・・・




ひょっとして、鳥が鳴くかも・・ね





まだまだ続きます。





それでは 





じゃーね・・・・




よろしく 
















内浦ふるさと探訪(神野浦編)第2弾

2008年11月02日 | 内浦って…
神野浦編 第2弾 です。


待ってました。


     ・・・・・・・一心に観音様を念じていると

      【どうやら無事に神野浦に帰りつくことが出来た、

       と見る間に今乗ってきたその枯木は「白馬」となって、

       はるか南の山彼方に飛び去り行ってしまったので、

       その馬の蹄の跡をたどってみると、そこに

       そのときの枯木が残されていた。

       そう太夫はその枯木で馬頭観音様を刻んでもらい

       松尾寺に納めた。

       その観音様が松尾寺の御本尊様だと伝えられている。

       それは延喜12年(913)のことであったという。

       神野浦の海岸には、今も「観音岩」と称して

       馬の蹄のあとを残す大岩がある。】




この写真がその「観音岩」です。



ここから観音様が松尾寺に行かれたときの

基点として、ちょうど「観音岩」の合い向かいに

今も観音道として奉られています。




また、神野浦では昔から使われている

「夜のもん」と言う言葉があります。

この言葉に由来するお話も、若狭高浜 むかしばなしの本に

載ってます、一度読んでください。





面白いですよ。






それではいよいよ最終目的地 山中区です。





これでぐるっと内浦を回って来た事になります。





次の山中区をお楽しみに・・・・・。





じゃーね・・・・




よろしく