うちのうにねこ

そこら辺にいるタダのパラサイトシングルと、同居猫のお話。

うちのうにねこ創世記3 (全5回)

2011年05月08日 18時00分00秒 | うちのうにねこ

うにが我が家にやって来て、最初の夏が過ぎ、秋を迎え、冬を越し、春になりました。

冬になったあたりから、僕はちょっと調子が悪くなりました。

仕事や私生活など、様々な要因が重なり、精神的にバランスが崩れまして、それが肉体的不調にも波及していたのです。

我慢をしていたんですが、年を越し、1月に入ったある日、どうしても耐えられなくなって心療内科に行きました。

診察の前にチェックシートを書き込むんですが、それを書くのもやっとの状態。

2時間待ちで診察を受け、診断結果が出ました。

 

うつ病

 

重症になりかけでした。

 

「悩みが無いのが悩み」を自称していた僕にとって、この診断はちょっと堪えました。

「まさか自分が」とも思いました。

でも、事実は事実です。

通院生活が始まり、カウンセリングや投薬が始まりました。

 

この病気には、長い年月苦しめられるコトになります。

 

2月になりました。

状態は当たり前と言ったら当たり前なんですが、全く好転せず、体調を崩したり、不眠になったり、漠然とした不安感やモヤモヤ感が襲ってきたりと最悪でした。

 

何度目かのカウンセリングの時、医師から「可能であれば、休職してみてはどうか」と言われました。

当時務めていた会社は、うつ病に関してそれなりに理解もあり、診断書があれば休職も可能でした。

休職中も総支給額の2割ほどが減給されますが、短期間の休職であれば毎月給料が出ます。

でも、いきなり休むのは業務に支障が出、同僚にも迷惑や負担が掛かります。

大量のクライアントを抱えていた時期でしたので、その始末も付けなくてはなりません。

所属長に相談し、半月の間に重要な案件を片付け、残った分は同僚に分散して預けるコトになりました。

幸い、重要な案件もスムーズに片付き、同僚も快く引き受けてくれました。

 

3月になり、3ヶ月程度の休職が必要との診断書を会社に提出し、休職生活に入りました。

 

休職して最初のカウンセリングの時、「何もせずにいるのもどうかと思うので、どうしたらいいか?」と聞いた所、医師から


「日記的なものを付けてみるのも良いですよ」

 

と、アドバイスをいただきました。

 

日記・・・・・。

小学生の宿題以来ですね、日記は。

ちょっと困りました。

『朝起きて御飯食べて眠くなって寝て』みたいな生活でしたので、全く変化が無い日常です。

自分の行動を題材にしたのでは、日記になりません。

さて、どうしよう。

・・・・うにの飼育日記にしてみるかなぁ。

とりあえず、書くコトにしました。

書くと言っても、自筆で書くのは苦手。

「ホームページ作って日記書いたら楽なんじゃない?」

と、イージーな感覚でホームページを開設し、CGIで日記スクリプトを設置。

タイトルも「『うちのねこ』じゃぁ当たり前だし、『うちのうにねこ』にしよう」と、深く考えずに決定。

 

ブログになる前の「うちのうにねこ」がスタートしました。

 

当時は飼育日記でしたので、飼い主目線で語り掛けるような書き方でした。

リンクも少なく、誰に見られるわけでもありませんでしたし、好調と不調が交互に来る状態でしたので、更新も不定期。

開設当初はデジカメも無く、しばらくしてからデジカメを購入する始末。

全くなっちゃなかったですね。

日記のログも壊れてところどころ消失したりと、散々なホームページでした。

 

ちなみに、この時期のデジカメ画像が昼間ばっかりなのは、自宅療養で仕事をしてなかったからです。

 



まだ、この頃はうにが「偉そうな猫」でも無く、僕が「情けないおとーちゃん」でもありませんでした。

デジカメで撮影した画像もちょっとしかありません。

 

更新が頻繁に行われ、うにがうに様になり、現在の「うちのうにねこ」の原型が出来るには、2004年になるのを待たなければなりませんでした。

 

【うちのうにねこ創世記4へ続く】


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