明日は明日の風が吹いたら私が儲かる

作詞、短歌、川柳、俳句などに目覚めたユリシーズのたわいない日記。
主に言葉のことに関して書き連ねてみます。

カナリアは叫ぶ

2012年07月02日 13時17分53秒 | 日記
これから書く事には、私自身の精神の不調時の描写も書かれます。
そういうのを、お読みになりたくない方は読まないでください。



先日、私は大きく精神バランスを崩しました。
元々、心の病と長年付き合っていましたが…あれほどひどいのは、5年ぶりくらいでした。
しかし、5年前。生活環境が劣悪で、毎日不安の中で生きたいた状況とは違います。

今は、自分の好きなこともできます。ご飯は食べられるし、洗濯も入浴も自由にできます。

それなのに何故自分は、あれほど精神的に追い詰められてしまったのか…


ほんの一瞬のことですが、母に対して「殺してやろうか」とまでも思いました。
自分に対しては、傷つけるようなこともしました。
夜は眠れず、朝方ウトウトと3時間ほど寝るのみ。
(それでも、眠れるだけましでしたが)

今は症状は落ち着き、なんとか日常生活はおくれています。
しかし、いまだに<人>というものが恐ろしく思えます。
同じでありながら、凄まじいまでの多様性を持つ<人>というものに恐怖しているのです。

その原因が何にあるのか、何が私を追い詰めたのか…
正確なところは、自分自身でも分かりません。



しかし、私はおそらくカナリアなのです。

カート・ヴォネガット氏は「感受性の高い芸術家や作家は、坑道のカナリアだ」といった趣旨の事を仰ったそうです。

カナリアは繊細な生き物で、人よりも早く有毒ガスにやられ死んでしまうそうです。
そのため、有毒ガスの危険をいち早く気づけるよう坑道に持ち込まれていたそうです。

芸術家や作家も同じ。社会の危険にいち早く反応し弱っていくのです。

私は、芸術家や作家ではないです。自分が、そんな立派な人間だというつもりはありません。
でも、危機に対する恐れは人一倍強いと思います。

日本は、これからどうなるのか。
日本国は、日本国民はどう生きていけばいいのか。

おそらく、その危機感に反応して異常な叫びを上げてしまったのだと思います。



もしも、私がカナリアなら…
危機を鳴いて伝えなければいけないのですよね。

私に出来ることは、数限られているでしょう。
ですが、自分のできる方法で「恐れを感じている人がいる」と伝えていきたいです。
その方法を、これから探していきたいと思います。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。