今朝、
会社の同僚、でもオレより若い、に
「亡くなった作詞家って、
すごいひとだねぇ~」
と言われてしまった。。。。。。
そっか、
知らないか。。。。。
・悲しい…はるみ、八代、リンダが涙(スポーツニッポン) - goo ニュース
あたしゃ、
いわゆる「ピンクレディー世代」だもんで
幼少期の多感な頃は
テレビでもラジオでも毎日
阿久悠の歌ばかり聞いていた(聞かされていた)
訳で、
いわゆる「ザ・ベストテン」だって、
↑にも在る通り、
アノ頃の曲は
ほとんど阿久悠の手によって生み出された曲ばかり。
アノ頃の子供は、
その阿久悠の曲をみなが諳んじることができる
というのは
渡辺晋型ビジネスモデルの究極の形だと思うんだけど、
わたくしめも例外無く、その頃の子供、の1人で、
今だって、
ピンクレディーの曲なら振り付けでどれでもすぐ歌えるし
↑の歌手の名曲も、フルコーラスで全部歌える
(山本リンダは、世代がちょっと古いので、無理
でも、じゅり~(by樹木希林)はベストを持ってます)
(わたくしめにとって)
古き良き時代の一つが
過ぎ去った気がする。。。。
幼少期の思い出と言えば、
・この人物のオモテとウラ 大沢悠里(フリーアナウンサー)
この「ゆうゆうワイド」の時にはすでに
愛知県に引っ越していたので
聞いたことが無いのでなにも知らないのですが、
その前の
「大沢悠里ののんびりワイド」は
よく聞きました
第一、
子供の聞く物ではない
というぐらいお色気(エロではない!!)満点の
妄想180%の
楽しい放送だったんだけど
そういう番組を聴いて育った
小学生時代
友達もなく
いじめられていた時代
ラジオばかり聞いていた
ということは
以前話したことがあるけど、
今で言う「引きこもり」にもならず
ちゃんと社会生活を送れるようになったのも
あの「大沢悠里ののんびりワイド」の楽しい放送のおかげ
というのも
あったかも知れない。
おかげで
「いい旅夢気分」のナレーターなんかでお声を聞くと
楽しい気分でに
なるのよね。
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【今日のニュース】
・高速道路の橋崩落、6人死亡 ミネアポリス
そんなアホな~
会社の同僚、でもオレより若い、に
「亡くなった作詞家って、
すごいひとだねぇ~」
と言われてしまった。。。。。。
そっか、
知らないか。。。。。
・悲しい…はるみ、八代、リンダが涙(スポーツニッポン) - goo ニュース
阿久悠さん急逝の悲報に、歌謡界の多くのスターや往年のアイドルたちもショックを隠せなかった。日本レコード大賞受賞曲は史上最多の5作品。都内で会見した都はるみ(59)は「感謝の気持ちしかない」と声を震わせ、沢田研二(59)も早すぎる死を悼んだ。静岡県の自宅には1日深夜、石川さゆり(49)が作曲家の三木たかし氏(62)とともに駆けつけた。
「北の宿から」で76年のレコ大に輝いたはるみは「私の第2のスタートをつくってくれた方」と、まず感謝の言葉から切り出した。威勢のいい少女から大人の女性へとイメージチェンジを図った1曲。「なにしろ自分が変わりたいと思っていた頃。歌った時に“都はるみじゃない”って言われた時はうれしかった」と涙をこらえながら話した。 阿久さんには歌詞の書き直しを依頼したほどの勝負作。「あまりに私を大きくしてくれた歌なので、嫌いになったこともあった。でもこれからはしっかりと力を入れずに歌っていきたい」と誓いを新たにした。昨年9月には師匠の市川昭介さんを亡くしており「天国で仲良く話をしてくれたらいいな」と続けた。
80年のレコ大受賞曲「雨の慕情」を歌った八代亜紀(56)も都内で会見。「内面は本当に優しい人でした」と涙ながらにしのんだ。「日本人の魂をつかまえる詞だった。“舟唄”も最初の2行を読んだだけでヒットすると確信しました。あんな素晴らしい詞を作る先生はもう二度と出ないのではないでしょうか」と話して絶句した。
77年に「勝手にしやがれ」でレコ大を受賞した沢田は「早すぎる最期です。アクの強い詞に七転八倒したのをきのうのことのように思い出します。阿久さんの歌を大切に歌っていきたい」とファクスでコメント。「彼らの才能と付き合うのであって、個人的に知らなくていい」と歌手とは距離を置いた阿久さんが一緒に食事をした数少ない1人でもあったジュリー。残された名曲を歌い続けることを誓った。
「どうにもとまらない」「狙いうち」などのヒット曲がある山本リンダ(56)も会見し「先生は私や皆さんの中で、いつまでも生きていく。大事に大事に歌わせていただきます」とハンカチを握りしめながらポツリ。涙はとまらなかった。
あたしゃ、
いわゆる「ピンクレディー世代」だもんで
幼少期の多感な頃は
テレビでもラジオでも毎日
阿久悠の歌ばかり聞いていた(聞かされていた)
訳で、
いわゆる「ザ・ベストテン」だって、
↑にも在る通り、
アノ頃の曲は
ほとんど阿久悠の手によって生み出された曲ばかり。
アノ頃の子供は、
その阿久悠の曲をみなが諳んじることができる
というのは
渡辺晋型ビジネスモデルの究極の形だと思うんだけど、
わたくしめも例外無く、その頃の子供、の1人で、
今だって、
ピンクレディーの曲なら振り付けでどれでもすぐ歌えるし
↑の歌手の名曲も、フルコーラスで全部歌える
(山本リンダは、世代がちょっと古いので、無理
でも、じゅり~(by樹木希林)はベストを持ってます)
(わたくしめにとって)
古き良き時代の一つが
過ぎ去った気がする。。。。
幼少期の思い出と言えば、
・この人物のオモテとウラ 大沢悠里(フリーアナウンサー)
TBSラジオが絶好調だ。何と36期(6年)連続の聴取率トップを達成したのだ。その原動力となっているのが、「ゆうゆうワイド」(月~金、8時半~13時)のパーソナリティーを務める大沢悠里の人気だとされている。
普段ラジオを聞かない人にはほとんどなじみがないが、大沢の人気は絶大。「日本一メディアに出演する司会者」を自任するみのもんたでさえ、大沢悠里にはかなわない。みのが、この記録をギネスブックに申請した際、ラジオ出演分をカウントしなかったが、それはラジオ出演分を含めたら大沢に負けてしまうことが明らかだったからといわれているほど。
実際、現在66歳の大沢のタフぶりは、驚くばかり。生放送の「ゆうゆうワイド」では、月曜から金曜は、毎日朝6時過ぎには局入りして、その日に届いたリスナーからの手紙と新聞を丹念に読むという。あまりにスタジオ滞在時間が長いので、スタジオ内には広辞苑などの辞書類、朝昼食用に即席のおかゆなども用意されている。オンエア終了後も、テレビ番組のナレーションの録音、朗読の舞台に出演したり、講演したりと超多忙なスケジュールをこなしている。
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努力家でもある。「ゆうゆうワイド」がまだ人気が上がらなかった放送開始当時には、毎日、裏番組を録音して研究した。また、年に100回以上の講演をこなし、会う人に名刺と番組名の入ったテレホンカードを渡し、自らの手でリスナーを開拓して人気番組にのし上がったという逸話さえある。
こうして多数のリスナーとじかに接したからこそ生まれたのが、リスナー目線の語り口なのだろう。わざとゆっくり分かりやすく読んだり、カタカナ語は頑として使わなかったり。そうした努力が実を結び、放送5000回突破、また人気コーナー「お色気大賞」はCD化され、これまで20巻も発売されている。
絶好調のTBSラジオを支える大沢に、あえて死角を探すと、10年以上前に一度軽い脳梗塞で倒れたことがあるだけに、やはり体力だろう。だが、弱点がそれしか見つからないところが、この男の強みといえるのかもしれない。
この「ゆうゆうワイド」の時にはすでに
愛知県に引っ越していたので
聞いたことが無いのでなにも知らないのですが、
その前の
「大沢悠里ののんびりワイド」は
よく聞きました
第一、
子供の聞く物ではない
というぐらいお色気(エロではない!!)満点の
妄想180%の
楽しい放送だったんだけど
そういう番組を聴いて育った
小学生時代
友達もなく
いじめられていた時代
ラジオばかり聞いていた
ということは
以前話したことがあるけど、
今で言う「引きこもり」にもならず
ちゃんと社会生活を送れるようになったのも
あの「大沢悠里ののんびりワイド」の楽しい放送のおかげ
というのも
あったかも知れない。
おかげで
「いい旅夢気分」のナレーターなんかでお声を聞くと
楽しい気分でに
なるのよね。
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【今日のニュース】
・高速道路の橋崩落、6人死亡 ミネアポリス
崩落したのはインターステート35W号線(4車線)の橋で、ここ数カ月間は修復工事のため1─2車線が閉鎖されていた。転落した車両にはスクールバスも含まれていた。
そんなアホな~
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