毎日元旦前後に財布を買い替えます。この時期沢山のスーパー、量販店でも売り出しをしていますが、その中でも一番安い物を買います。高いブランドの財布も欲しいですが、仕事中毎日お尻のポケットに入れているためすぐボロボロになりもったいないから安い財布を買い続けています。10年で1万円前後の買い物だから安上がりですね。
実家で雑煮とおせちをいただきました。
父親が他界し今年はおせちを作らないと母親が言っていましたが、おせちがないと寂しいなぁといことになり急遽作っていました。
父親が他界し今年はおせちを作らないと母親が言っていましたが、おせちがないと寂しいなぁといことになり急遽作っていました。
毎年恒例になっていますが、年が明けてすぐ、近くの内宮様へお参りに行ってきました。昨年はプライベート、仕事両方ともかなり大変な年でしたが、今年はいい意味で大変な年になって欲しいことを願います。なんか伊勢神宮と関わりがあるお宮のためサイトの引用しました。
当社の御祭神である天照大神は、かつて皇居の内にまつられていたが、やがて第10代崇神天皇の御代に皇居と神居とが別けられることになり、まず倭の笠縫邑に遷しまつられ、その後、丹波国(京都)、倭国(奈良)、木国(和歌山)、吉備国(岡山)を経て再び倭国へ、そしてさらに伊賀国(三重)、淡海国(滋賀)、美濃国(岐阜)、尾張国(愛知)を経て第11代垂仁天皇の26年(紀元前4年)に伊勢国(三重)へ御遷幸になられ、その地を永遠の宮地(現在の伊勢神宮)として鎮座された。
天照大御神が皇居を出られてからこの伊勢に至るまでの御遷幸経路については、日本書紀や皇大神宮儀式帳、倭姫命世記などの古文書に見られる。
中でも神道5部書の1つに数えられる倭姫命世記の中には「垂仁天皇54年丁丑、吉備国名方浜宮に遷し4年斎奉る」と記されており、これが当社「内宮」の創始となっている。また、江戸時代に土肥経平が著した寸簸の塵(きびのちり 吉備の地理の意)という書物の中に「外宮は出石郡にあり。内宮は鹿田庄浜野村にありて式内の神なり。皇大神宮即ち是なり。」とあり、その当時の様子が詳しく記されている。
当社の、創祀は伊勢の内宮鎮座の40年前にあたる。また大正2年には、付近の野々宮と日吉神社が当社に合祀された。
当社の御祭神である天照大神は、かつて皇居の内にまつられていたが、やがて第10代崇神天皇の御代に皇居と神居とが別けられることになり、まず倭の笠縫邑に遷しまつられ、その後、丹波国(京都)、倭国(奈良)、木国(和歌山)、吉備国(岡山)を経て再び倭国へ、そしてさらに伊賀国(三重)、淡海国(滋賀)、美濃国(岐阜)、尾張国(愛知)を経て第11代垂仁天皇の26年(紀元前4年)に伊勢国(三重)へ御遷幸になられ、その地を永遠の宮地(現在の伊勢神宮)として鎮座された。
天照大御神が皇居を出られてからこの伊勢に至るまでの御遷幸経路については、日本書紀や皇大神宮儀式帳、倭姫命世記などの古文書に見られる。
中でも神道5部書の1つに数えられる倭姫命世記の中には「垂仁天皇54年丁丑、吉備国名方浜宮に遷し4年斎奉る」と記されており、これが当社「内宮」の創始となっている。また、江戸時代に土肥経平が著した寸簸の塵(きびのちり 吉備の地理の意)という書物の中に「外宮は出石郡にあり。内宮は鹿田庄浜野村にありて式内の神なり。皇大神宮即ち是なり。」とあり、その当時の様子が詳しく記されている。
当社の、創祀は伊勢の内宮鎮座の40年前にあたる。また大正2年には、付近の野々宮と日吉神社が当社に合祀された。
3日連続で飲み会的な行事がありました。
28日は昼間に会社の忘年会、夜は市消防団の年末夜警、29日は町内の防犯部の年末夜警、30日は高校の同級生の飲み会。30日は胃腸が最悪状態での参加でした。
会社の忘年会はビンゴで2等賞東京ディズニーランド入場ペアチケットと4000円分のディズニーで使用出来る商品券付きが見事当選!しかし、往復の交通費と宿泊費を考えたら10万円仕事になるためどうするか考え中です…。多分娘が夜行バスで行くのかな?
ビンゴで貰ったチケット
会社の忘年会料理
30日のモツ鍋
28日は昼間に会社の忘年会、夜は市消防団の年末夜警、29日は町内の防犯部の年末夜警、30日は高校の同級生の飲み会。30日は胃腸が最悪状態での参加でした。
会社の忘年会はビンゴで2等賞東京ディズニーランド入場ペアチケットと4000円分のディズニーで使用出来る商品券付きが見事当選!しかし、往復の交通費と宿泊費を考えたら10万円仕事になるためどうするか考え中です…。多分娘が夜行バスで行くのかな?
ビンゴで貰ったチケット
会社の忘年会料理
30日のモツ鍋