伯母が亡くなり、通夜へ
他の叔母、従姉妹
しばらく会っていなかった人々
しばらく病の人だったので、亡くなる覚悟のようなものはあった
有難い のは お坊様のお話での言葉
何歳でも、生まれたからには命の終わりは来る
誰も避けられない
今日、今、この時も有難い時間
当たり前の明日なんて
本当は無いのだと
明日私はアメフトのスーパーボウルを楽しみにしている
が、
観られなくなる未来だって絶対無いとは言えないのだ
そういう厳かな気持ち
通夜が終われば、懐かしい人々と
昔話や近況報告
悲しみの席だが、こういう機会でもないとなかなか会わないからな
同い年の従姉妹と連絡先交換した
生きる事に考えを馳せ
懐かしい人々と会話し
エネルギーを大量消費した
疲れと妙な高揚感覚
早寝できるかしら
アメフトシーズンが終わったのが寂しいなぁ
最後までハラハラ。
しかも、私が応援したチームが優勝。嬉しかったです。
私は生きる意味とか何かと悩みがちで、あまり積極的に長生きしたいとも思えず。
周囲のヒトが亡くなったりすると、私が生きてて申し訳ない気持ちがしたり…そんな自分が情けなくなったりです。
あまりよいコメントがお返し出来ずすみません
私は仕事、遊び、趣味、一応満足した人生だったかと。
子供の教育、成長以外は、いつでも本能寺になってもいいと。笑
まあ、なるべくは長生きしたいですけどね。笑笑